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二条城で学芸員解説会「国宝・二の丸御殿〈大広間〉帳台の間」を聞いてきました

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今日は午後から二条城でのセミナールームで開催された学芸員解説会「国宝・二の丸御殿〈大広間〉帳台の間」に参加してきました。
スライドの写真を撮ってきたので、ぼくが理解できた内容を補足しつつ共有します。

まずは二条城の歴史から。

この数年間、二条城では後水尾天皇による「寛永行幸」をテーマに盛り上げてきましたが、去年の9月に本丸御殿が再公開されてからは「離宮」として使われた二条城をテーマにしています。

といっても「離宮時代」は京都府庁が出ていってから、京都市へ下賜されるまでの50年ちょっとですけどね。

二の丸御殿の障壁画は寛永行幸の際に狩野探幽らが制作したものですが、じつは廊下の壁や室内の一部の障壁画は明治時代、離宮として整備された際に新たに制作されたものが多くあります。
廊下の壁などは傷んだり剥がれたりでほぼ白い紙が張られている状態だったので、当時の京都にいた画家たちが新たに描いたのですが、今回の帳台の間については大部分が別の障壁画に張り替えられたそうです。

帳台の間とはなんなのか

ちなみに二の丸御殿内に帳台の間がいくつあると思いますか?
正解は4つで、遠侍・大広間・黒書院・白書院という主要な建物すべてに帳台の間は存在していて、このうち大広間と黒書院だけが張り替える対象になったとか。

修復・修繕ではなく張り替えとなった理由はよくわからないのですが、使用頻度が高かったので傷んでいたり、カビが生えていたので直しようがなかった等、なんらかの理由があったのでしょう。

今回、特別公開されているのは大広間の帳台の間です。
下の拡大図の赤い部分にあたります。

人形がたくさん座っているのが大広間です。

その奥にある扉付きの襖が「帳台構え」で、その奥(裏側)にあるのが「帳台の間」です。

赤い丸と矢印はこうのが加筆

正面から見た帳台構え。二の丸御殿を見学された方はこの角度は見たことあると思います。

そしてこれがぼくも初めて見た、帳台襖が開いた状態です。
奥にも金碧障壁画で彩られた小さな部屋が見えますが、これが帳台の間です。

帳台の間についての説明です。

もともとは寝室に近い意味を持つ部屋だったのですが、公家の寝殿造りから武家の館へ建築が変化していく中で、武家の場合は寝室は別棟(二の丸御殿の場合、白書院が相当)に作られるので、名称は残ったものの用途としては納戸に近くなったそうです。

よく「武者隠し」と紹介されますが、江戸中期の旗本で有職故実研究家の伊勢貞丈(いせ さだたけ)さんによれば「これは非なり」と否定されています。
ただし「とはいえ主人が決めることだから」と波風を立たせないように配慮してもいます。

ぼくはもともと武者隠しの説明には疑問を感じていました。
マジックミラーで中の様子が見えるわけでもないし、帳台襖の向こうに待機していても(対面者がいきなり将軍に斬り掛かってきたら)絶対間に合わないだろうと思っていたので、ちょっと納得しました。
と同時に二条城でさえ、こうして令和になっても説明がアップデートされることに驚きますし、現在の学芸員のみなさんの素晴らしい研究に脱帽です。

二条城は歴史的にも非常に限られた期間しか将軍が滞在していないので、史料に残る帳台の間についての記載は2件しか現時点では見つかっていないそうです。
しかもそのうちひとつは二の丸御殿のものではなく寛永行幸時に建てられた行幸御殿のもので、書かれた内容や置かれた品名から休憩室のような位置づけと推定されます。

もうひとつは徳川慶喜が将軍宣下を受けた際の記録で、朝廷の使者が持ってきた宣旨(せんじ)とを納めた覧箱(らんばこ)の受け渡しに使用されています。
このことから大事な物や高貴な人だけが通ることを許された空間であろうと推測されます。

ぼくが本などで学んできた「帳台の間」は将軍が大広間に出入りする際の通路、という説明だったので、おおむねその理解でまちがってなさそうです。
(今後の研究で覆る可能性はありますが)

帳台の間を彩る障壁画

続いて室内を飾る障壁画についてです。

帳台襖をくぐって正面が「東面」です。長押の上が「武蔵野図(むさしのず)」で、下が「竜田風俗図(たつたふうぞくず)」です。いずれも明治に張り替えられたものです。

武蔵野図はよくある画題ですね。やまと絵の展覧会ではよく見ます。

竜田風俗図というのは初めて聞いた気がしますが、平安時代きってのプレイボーイ・在原業平が詠んだ和歌「千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは) からくれなゐに 水くくるとは」で知られる竜田川の紅葉や周辺で生活する人々が描かれた絵です。

風俗図というだけあって、人々がたくさん描かれています。

続いて「北面」です。
長押の上は同じく武蔵野図で、下の右側も同じく竜田風俗図ですが、この北面には廊下と出入りするための戸があり、その部分の「花鳥図」だけは寛永行幸の際に描いたものだそうです。

「西面」は大広間に接する面ですが、こちらも帳台襖の裏側の花鳥図のみ寛永行幸時のままで、武蔵野図と竜田風俗図は明治に張り替えられたものです。

最後が「南面」ですが、ここも長押を境にして武蔵野図と竜田風俗図が上下に描かれています。

なおこの写真に写っているのはすべて復元模写されたレプリカです。
本物は展示収蔵館で定期的に公開されています(いままさにこの帳台の間の原画が公開中です)。

明治に張り替えられたという武蔵野図と竜田風俗図ですが、その痕跡も残っています。

たとえば引手金具の跡が残っていたり(つまり別の場所で使われていた証拠)。

紙が継ぎ足された形跡が残っていたり。

それらを考慮して推定復元すると、もともとはこんな感じだっただろうと。

武蔵野図と竜田風俗図はもともとどこにあった絵か

ではこの武蔵野図と竜田風俗図はどこにあった障壁画なのでしょう。

じつは小沢朝江先生が調査されています。
それによれば、中御門天皇に入内した近衛尚子(ひさこ)の女御御殿(にょうご ごてん)の一部、姫宮御殿(ひめみや ごてん)に描かれた障壁画だったようです。
姫宮御殿というのは女子が生まれた際に使う部屋だそうです。

余談ですが、いま調べたら尚子さんは6代将軍徳川家宣の猶子となってますね。
(家宣の正室の近衛熙子は尚子さんの伯母にあたるため)

歴史的経緯としては、入内が決まり、女御御殿が建てられ、障壁画も制作されたものの、尚子さんは男子(のちの桜町天皇)を出産後に亡くなってしまいました。
その後、男子が皇太子となり、東宮御所を建てる際に主のいなくなった女御御殿が転用されることになりましたが、姫宮御殿はその対象にならなかったようで、おそらく建物は撤去され、障壁画のみが保存されたのでしょう。

明治18年の記録では「襖マクリ」として武蔵野図や竜田風俗図と思われる障壁画の記載があります。
この「マクリ」というのは木枠からはずされて「絵のみ」の状態で保管されていることを意味しているそうです。勉強になりました。

つまり明治18年の時点では絵だけの状態だった武蔵野図や竜田風俗図が、その後に帳台の間の障壁画として転用されたことがわかります。
その際に切ったり貼ったりしているのはさっき見たとおりです。

最後の疑問はなぜ姫宮御殿にあった障壁画が二条城(二条離宮)に運ばれたのか、ということですが、これは「陽明文庫(ようめいぶんこ)」にヒントがあります。

陽明文庫とは、近衛家が所蔵する古文書や古美術品など約10万件を保管している資料館で、あの藤原道長の自筆日記『御堂関白記』なども所蔵しています。
そのホームページの記載にこのような文章が残っています。

さて、明治維新になって皇居が東京に移されると共に、主だった公家のほとんどは東京へ移住しました。五摂家の中でも最後まで残った近衞家も、明治十年には一族全て東京に居を移しました。

それに際し、文庫の内の最も貴重な代々の記録などごく一部は、東京へ搬ばれたでしょうが、厖大な数量の文書や典籍類はやむなく京都に残され、各所に預けられることとなりました。

それらは、今の二条城でその頃宮内省の所管であった、二条離宮や、その他近衞家にゆかりの寺、あるいは少しは近衞家の別邸の如きもしばらく遺されていて、そのような所にも保管されていたのでしょう。特に二条離宮は量質共に主だって預けられていたようです。
公益財団法人 陽明文庫

新聞(「京都日出新聞」、現在の「京都新聞」)の記事にも二条離宮に近衛家の宝物があったことが書かれています。

つまり近衛家が東京へ行く際に所有していた美術品はいくつかに預けられ、そのひとつが二条城(二条離宮)だったので運び込まれたのだろうと。
姫宮御殿の解体時、尚子さんの実家である近衛家にいったん移され、そして明治に近衛家から二条城に移されたという推測が成り立ちます。

最後に、関連する企画を案内していただき、解説会は終了しました。

刀剣なども所有者がどんどん変わるので来歴だけでも楽しめますが、障壁画でもたとえば狩野永徳の『唐獅子図屏風』は秀吉が毛利輝元に贈り、明治に入って毛利家から天皇家に献上されたとかいろいろあるんですね。

二の丸御殿「大広間帳台の間」の特別公開は1月27日(月)までなので、気になる方はお早めに!
(火曜日はお休みなのでご注意ください)

   
この記事を書いた団員

こうの

攻城団のこうの団長です。

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