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団長公記に書こうとしたけど、長くなりそうだったのとグラフとか入れたほうがわかりやすいと思ったので団員ブログに書きます。団長は団員に含まれるのかは哲学的な問いですが、生徒会長だってひとりの生徒ですからいいでしょう。
では本題です。
よくお城ファンが増えたきっかけとして「日本100名城」の選定とスタンプラリーの実施が大きかったと言われます。先日受けた新聞社の取材でも記者の方からそんな話があって、深く考えずに「そうですね」と答えたのですが、これは本当なのでしょうか。
ちょうど全国入城者数調査のレポートを発表して昨年までのデータが手元にありますので、今日はそのことについて考えてみます。
📈「日本100名城」選定前後の入城者数の推移
日本100名城――いわゆる「100名城」は平成18年(2006年)4月6日の「城の日」に認定され、スタンプラリーは翌年の6月2日から開始されました。
ぼくがお城めぐりをはじめたのが平成20年(2008年)10月のことなので、スタンプラリー開始から1年ちょっとが経過した頃ですが、犬山城も丸岡城も松本城もガラガラでした。
(当時は「現存12天守」なんて言葉は知りませんでしたが)
バックアップ保存していた当時の写真が出てきたので紹介しますが、ガラケーだったので画質も粗いしサイズも小さいし水平も取れてないし、とにかくひどい写真です。
でも現在と比べてもぜんぜん人がいないことは伝わりますよね。



感覚ではなく、データで検証してみます。
選定前・スタンプラリー開始前と比較をしたいので、とりあえず平成15年(2003年)以降のデータです。

抜けがけっこうある点はご容赦いただきたいのですが、言うほど増えてないことがわかります。
異常値っぽいところもおおよそ理由が明白です。
- 平成17年の名古屋城は同年に開催された愛・地球博の影響か
- 平成18年の高知城はNHK大河ドラマ「功名が辻」の影響か
- 平成19年の彦根城は国宝・彦根城築城400年祭の影響か
- 平成21年の姫路城は10月から大修理がはじまったため駆け込みでの増加か
- 平成23年の江戸城は東日本大震災の影響か
- 平成24年の竹田城は高倉健主演映画『あなたへ』のロケ地になったからか
- 平成25年の竹田城はGoogleのCMで紹介されたから(後述)
- 平成27年の姫路城は大修理が終わったため
- 令和2〜4年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため全国的に臨時休城等があった
次にこれを使って、前年比を出してみました。

グラフ化するとこんな感じです。

「日本100名城」以降、すなわち平成18年、平成19年以降もほとんどが100%前後であることがわかります。
さらに平成16年の入城者数を100とした場合の増減を見てみます。

このデータを見るかぎり、ぼくには日本100名城の選定とスタンプラリーが入城者数の増加に寄与しているとは結論付けられませんでした。
ただ異常値をのぞけば、ほとんどのお城で微増をずっと続けており、それが20年にわたると当時の倍以上になっているのだと理解しました(これはすごいことです)。
🇯🇵日本100名城の効果とは
では日本100名城に意味がなかったのかというとそうは思いません。
高知城を見ればわかるようにNHK大河ドラマ「功名が辻」(平成18年)、さらに「龍馬伝」(平成22年)に増えた入城者数は単年の上振れに過ぎず、持続性がありません。
抜けが多くてデータに含めませんでしたが、平成28年(2016年)の「真田丸」の舞台のひとつ、上田城の数字もこのように翌年には元に戻っています。
平成27年 | 平成28年 | 平成29年 |
---|---|---|
2,151,000 | 3,487,700 | 1,787,600 |
大河ドラマによる効果が一時的なものであることは以前も調べたのでそうだよなという感じです。
その点、日本100名城のスタンプラリーは毎年開催されており、またそれを後押しするように書籍や雑誌が発売されているため、常に新規のお城ファンを呼び込むことには大きく貢献しているはずです。
彼らが5年後、10年後もお城めぐりをしているかはわかりませんが(かなりの方はやめてるとも思いますが)それでも裾野の拡大につながっていることはまちがいありません。
「いつもやっている」というのは本当に重要で、もし日本100名城のスタンプラリーがなければ前年割れのお城がもっと多かったと思います。
🏯お城ブームはどのようにして起きたのか
ここで「真実はいつもひとつ!」と威勢よく断言できればいいのですが、現時点ではよくわからないというのがぼくの結論です。
たとえば竹田城が全国的に注目を集めたのは平成25年(2013年)11月に放送された、スマホ=Google PixelのテレビCMの影響です。
このあと雑誌やバラエティ番組などで次々に竹田城の雲海が紹介され、バスツアーなどもたくさん組まれたため、数万人だった入場者数は50万人をこえるようになりました。
こうした絶景による注目は大河ドラマとちがって数年間続いた点も見逃せません。ただその竹田城も近年は10万人強で落ち着いています。
ブームがなぜ起きるのかというと、同時期に大勢の人が同じ行動をするからです。
そのためには「きっかけ」が多いこと、しかもテレビや雑誌やインターネットなど老若男女それぞれが日常的に接触するメディアで「きっかけ」と出会うことが必要です。平成30年(2018年)から定期的にNHKで放送されている「最強の城」も、平成22年(2010年)に開始された「ニッポン城めぐり」のようなスマホゲームもお城めぐりをはじめるきっかけになっていると思います。もちろん大河ドラマも。
今回データを見てぼくが感じるのは「お城ブーム」なんてものは最初から起きてないのかもしれないということです。
20年以上にわたり、多種多様な「きっかけ」を通じて少しずつお城好きの裾野が拡大し、この趣味の庭から出ていく人よりも入ってくる人のほうが多かったから、その結果として囲碁や将棋、釣りなどと同じような趣味として定着したのではないでしょうか。
「日本100名城」に理由を求めるよりも、このほうがしっくりくる気がします。
常に新規ファンを獲得し、そのファンたちのテンションを維持し続けるためにはインターネットの貢献度も大きいですね。
ブログやSNSでみんながお城めぐりの楽しさを発信し、仲間を増やしてきたからこそ、いまの状況があるのだと思います。もちろんその一端、一助に攻城団も少しくらいは貢献できているという自負もあります。
あえて結論づけるなら、たぶんブームの立役者は「みんな」です。
とまあなんとかキリの良い感じでまとめたものの「お城ブームの火付け役は○○だ」とか「やっぱり日本100名城がきっかけだ」とかいろんな意見があると思います。
ぼくも「よくわからない」が結論なので、ぜひみなさんの分析や考察を聞いてみたいです。