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海に行きたい。暑いけど、城巡りもしたい。
両方叶えてくれるお城に行きたい!
ということで、現地ガイドさん解説つきの「能島上陸&潮流クルーズ」ツアーに参加した。
前日に台風のたまごが九州付近で急発生してめっちゃ焦ったが、無事開催となった。
出発時間になり、船で能島へ向かう。

貸していただいたライフジャケットは首掛けタイプなので、リュックサックを背負っていても邪魔にならなかった。
また座る場所や時間帯によっては日光が当たる席もあるが、船がスピードを出して進むと風が吹いて涼しい。

潮流だ!
島に近づくにつれ潮流の勢いが激しい場所が見える。
この日は昼の部に参加したが、午後になれば時速14キロくらいで流れるのではないかとのこと。
潮流の中でアクセルを切ると、船が勝手にゆっくりと、反時計回りに回った。

もし船から落ちてしまっても、潮流の流れに身を任せることが大事らしい。

見えた岩礁ピット! 砂浜には降りないので間近で写真撮影できるポイント。
初芽は当日まで砂浜に降りて岩礁ピットだけを見学するツアーと思い込んでいたので、まさか本丸側に上陸できるとは思っておらずびっくりした(すごく嬉しい)。

上陸ッ! 奥の孤島は鯛崎島(たいざきじま)
能島城は、村上三家(来島・能島・因島)のうち能島を拠点として活動していた村上氏の居城である。
14世紀中頃から瀬戸内海の水先案内や海上交易など操船を得意とし、織田VS毛利の木津川口の戦いなど水上戦でも活躍した。

本丸から矢櫃(やびつ)を撮影。
矢櫃は弓の矢を収納する武器庫があったとされる。奥は鵜島(うしま)。
ガイドさんから「この風景は600年前から変わらないですよ!」と教えてもらった。
人工物のない自然、空と海と島だけが目の前にあり、当時の村上海賊も見ていた景色だと思うと興奮した。
以下、ガイドさんの解説。
- 村上海賊=「パイレーツ」ではない。むやみに他船を襲ったり物資を横取りすることはなく、掟を定めて船の関所としての役割を果たしたり、文化にも秀でていた集団であった。
- 島には水がない。水や食料は外部から調達していた。
- 女性用の化粧道具が島から発見された。当時女性も住んでいた?←鶴姫伝説が存在していることから、可能性はあるのかも。
- 鵜島は現在十数名の方が住んでいる。織田信長公の末裔である織田信義公の子孫の方々もおられる。
- 鯛崎島と能島の間には橋がかかっていたという説あり。満ち引きの関係で島間の潮流幅が狭まる時があり、橋をかけることは可能と思われる。
- 鯛崎島には見張り台があった。理由は能島からだと隣の鵜島に隠れて見えない死角も、鯛崎島であれば見えるため好立地だった。

出丸から撮影。鯛崎島の祠がある場所に見張り台があったとされる。初芽は橋があった説推し。
ちなみにツアーの前に「村上海賊ミュージアム」で展示物を見ていたが、熊手が武器になることを初めて知った。「やがらもがら」とも呼ぶのか……。
帰りは民話「くじらのお礼参り」を聞きながら、がっつり潮流を堪能。
帰りのほうが勢いが強く渦もよく巻いているのがわかった。

渦巻く瞬間を撮ったつもりが……(汗)潮流の勢いは伝わるだろうか。
感想
通常ならば行くことが難しい島の城も、素敵なツアーや現地の方の島の管理のおかげで、安全に楽しく上陸できた。
船に乗っている間も、潮流や渦などの近くではスピードを落としてもらったり、撮影ポイントを教えていただけるので、能島の魅力をいっぱい感じることができた。
念のため酔い止め薬を準備したものの、海の状況によるが激しい揺れはなく、船酔いも特に気にならなかった(個人の感想)。
反省点は、欲張って写真とビデオ両方で撮影していたため、写真で良い画が中々撮れておらず「二兎を追うものは一兎をも得ず」であった。
どちらかに集中してベストショットを狙ったほうが良かったなあ……。
とにかく島の城は上陸すると楽しい!

城巡り後は鯛めしをかきこんだ! めちゃくちゃ美味しかった!