団員ブログ by 攻城団 攻城団団員による団員のためのブログ

狸親父百名城〜九州・沖縄編〜

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都於郡城

第7 九州・沖縄編

福岡県

登録数は72、攻城数は36です。

立花山城(2018.01.09)

立花山城は立花宗茂が籠城した城として知られ、黒田長政が福岡城を築いた後は廃城となりました。かなり大きな山城で、登城路はいくつかありますが、ハイキングコースとなっているためよく整備されています。私は、立花山登山口から石垣ルートを登り、本丸からの眺望を堪能して、反対側の下原へ下りました。
JR福工大前駅からバスで立花口から徒歩20分で立花山登山口へ、あるいは、西鉄香椎駅からバスで下原から徒歩15分程で大権現登山道口に至ります。

秋月城(2017.06.13)

秋月城は福岡藩の支藩、秋月藩の藩庁として黒田長興が築いた城です。城自体は大きくなく、堀や石垣のほか、長屋門、黒門が残るだけですが、趣のある城下町の散策と併せて100名城に選定しました。
甘木駅から秋月方面行きバスで、博物館前バス停下車し徒歩15分ほどで城域に至ります。

障子ヶ岳城(2018.07.02)

障子ヶ岳城は、1336年に足利統氏が築いた城ですが、地勢的重要性から千葉氏や大内氏の支配を受けた後、秀吉の九州征伐後は黒田孝高の持城となり、一国一城令で廃城になりました。かなり大きな山城で曲輪を取り巻く土塁や堀切などの遺構が良好に保存されています。登城口から本丸まで、すこしきつい攻城になりますが、本丸からの眺望に疲れが吹っ飛びます。
私は、車で攻城したので、味見桜公園から攻城しましたが、公共交通機関だと簡単には登城口にいけないのが難点です。

☆城井谷城(候)、御所ケ谷神籠石(候)、馬ケ岳城(候)

佐賀県

登録数は50、攻城数は24です。

鹿島城(2019.02.19)

鹿島城は鍋島藩の支藩の府城として築かれた城で、1874年の佐賀の乱で焼失しました。城址は鹿島高校や旭ヶ岡公園になっており、赤門や大手門、武家屋敷などの遺構も見られます。
肥前鹿島駅から旭ヶ岡公園まで旧城下町を散策しながら歩くことをお勧めします。

獅子ケ城(2021.04.24)

獅子ケ城は鶴田氏の居城として知られていますが、豊臣秀吉に城を追われ、その後、寺澤広高により改築されましたが、一国一城令により廃城となりました。三の丸に駐車場があり、多数の案内板もあるうえ、石垣などの多くの遺構を見学しながら、本丸まで整備された登城路を歩くことができます。
私はツアーで攻城しましたが、最寄りの厳木駅から登城口までかなりの距離があり、公共交通機関で攻城するのはかなり難しいと思われます。

☆岸岳城(候)、葛籠城(候)

長崎県

登録数は40、攻城数は24です。

玖島城(2015.07.21)

玖島城は大村氏の居城として知られ、大村藩の藩庁として、明治維新まで存続しました。現在は大村公園としてよく整備され、本丸跡に大村神社が建立されているほか、御殿跡や搦め手門、高石垣などの遺構が見られ、江戸時代の城郭の雰囲気を味わうことができます。
長崎空港から諫早駅行きバスで公園入口下車すぐですが、JR大村駅から歩いても20分ほどで大村公園に着きます。

対馬清水山城(2022.11.12)

対馬清水山城は豊臣秀吉が朝鮮出兵時の兵站基地とした築かせた城です。石垣や虎口など多くの遺構を確認できますが、規模の大きな山城で、岩場が多く比高も大きいので、かなりの体力を要する攻城となります。
登城口は対馬博物館の裏にあります。

梶谷城(2022.04.04)

梶谷城は平安末期に築城された中世山城で、豊臣秀吉が近世城郭へと改修させたとされます。城址には見事な石垣が残され、曲輪や土塁などの遺構がはっきりと分かります。本丸跡からの眺望は絶景です。
今福駅から徒歩で30分で登城口に至ります(道標がしっかりしていて迷うことはありません)。

日野江城(2020.02.11)

日野江城は有馬氏の居城として知られますが、その後一国一城令により廃城となりました。空堀や石垣などの遺構を見ることができます。イエズス会の重要な布教拠点だったため、セミナリヨ跡など関連遺跡の散策も楽しめます。
島原駅から約60分バスに乗り「日野江城入口」で下車し、徒歩15分で城域に至ります。

☆直谷城(候)、勝本城(候)

熊本県

登録数は42、攻城数は23です。

佐敷城(2018.02.23)

佐敷城は詳細は不明ですが、南北朝時代の城を加藤清正が近世城郭に改修したとされ、その後一国一城令により廃城となりました。城山公園として登城路や遺構が整備されており、破城の跡も見ることができます。
佐敷駅から城跡を見ることができ、徒歩20分ほどで迷うことなく城域に至ります。

堅志田城(2018.02.23)

堅志田城は阿蘇氏の居城として知られ、その後、島津氏の持ち城となりましたが、豊臣秀吉の九州征伐の際に放棄されました。私が攻城したのは熊本地震から2年弱後であり、そのため一部立入禁止になっていましたが、曲輪の形は分かり、堀切などの遺構がよく残っていました。
公共交通機関ではアクセスが困難なので山城ツアーを利用しました。

富岡城(2024.01.22)

富岡城は寺沢広高が築き、島原の乱で一揆軍の攻撃を受けた城ですが、その後、1670年に戸田忠昌が本丸・二の丸を破却し廃城としています。現在は城内にビジターセンターや資料館が建ち、櫓や高麗門が復元されているので近世城郭の雰囲気を味わうことができます。島原半島がよく見える半島先端の築城最適地にあります。
本渡バスセンターから富岡港行バスに乗り終点で下車(60分)し徒歩10分で登城口に至ります。

☆棚底城(候)、宇土古城(候)、愛藤寺城(未)

大分県

登録数は34、攻城数は16です。

杵築城(2022.04.01)

杵築城は室町時代初期に木付氏によって築かれた、三方を海に囲まれた要害で、戦国時代には大友氏と島津氏の戦いの舞台となり、江戸時代には杵築藩の藩庁が置かれました。遺構は石垣が一部残るだけですが、城山公園として整備され、模擬天守が建てられています。杵築城を中心に、南北の高台に武家屋敷群が、その谷間に商人の町が挟まれているサンドイッチ型城下町で、散策すると江戸時代の風情を味わうことができます。
杵築駅から杵築バスターミナル行に乗車し、杵築城入口で下車すると城域に至ります。

☆日出城(候)、長岩城(未)

宮崎県

登録数は56、攻城数は8です。

高鍋城(2015.07.31)

高鍋城は平安時代末期に土持氏によって築かれたといわれ、戦国時代には伊東氏や島津氏の所領になりましたが、豊臣秀吉による九州征伐後に移封された秋月氏の高鍋藩の藩庁として幕末に至りました。建造物遺構は見当たりませんが、 舞鶴公園として石垣や堀などが整備され、二の丸には資料館が建てられています。
高鍋駅から城の近くまでバスがありますが、私は駅からレンタサイクルで攻城しました。

都於郡城(2022.03.06)

都於郡城は1335年に伊東祐持による築城といわれ、佐土原城とともに伊東氏の本城で、後に島津氏の支配下になりましたが、元和の一国一城令によって廃城となりました。かなりの規模のいくつかの曲輪が深い空堀で仕切られていて、圧倒されます。登城路は、よく整備されているので楽しく攻城できます。天正遣欧少年使節の伊東マンショが生まれた城で本丸に銅像が立っています。
宮崎駅や佐土原駅からバスを乗り継げば登城できるようですが、私はツアーを利用して攻城しました。

穆佐城(2022.03.05)

穆佐城は足利尊氏によって築かれ、戦国時代には伊東氏と島津氏によって争奪された城です。島津氏の支配下となった後、一国一城令にて廃城となりました。城域は東西に延びる比高50mの丘陵にあり、堀切により区分された曲輪に土塁が良好に残っています。また登城口近くのガイダンス施設に出土品や資料が展示され、散策マップも入手できます。
宮崎駅からバスもありますが、私はツアーに参加して攻城しました。

☆都城(候)、綾城(未)

鹿児島県

登録数は60、攻城数は26です。

清色城(2022.03.07)

清色城は島津氏の家臣・入来院氏が本拠とした城で、築城年代は明らかではありませんが(南北朝時代の頃に原型が出来上がったのではないかと考えられています)、一国一城令により廃城となりました。薩摩川内市入来支所の裏山が跡地で、シラス台地を切り取った断崖絶壁の空堀で仕切られた、複数の曲輪が設けられており、登城口にある巨大な切通しには圧倒されます。また、武家屋敷が立ち並ぶ麓の散策もお勧めです。
鹿児島空港や川内駅からバスもありますが、私はツアーに参加して攻城しました。

伊作城(2022.03.07)

伊作城は島津氏の分家・伊作氏の城として南北朝時代に築かれたと考えられ、その後島津氏の外城の一つになりましたが、一国一城令で廃城になりました。南九州特有の、群郭式と呼ばれる独立した曲輪で構成される城郭構造であり、現在は公園として登城路や道標が整備されていて、大きな空堀や土塁が明瞭に残っていて楽しめます。本丸にあたる亀丸城跡に城址碑が建てられています。
鹿児島中央駅から鹿児島交通バス「加世田」行きに乗り「ふもと」バス停下車、少し戻った道路上に登城口を示す道標があります。

☆岩剱城(候)、建昌城(候)、髙山城(候)

沖縄県

登録数は65、攻城数は26です。

糸数グスク(2019.01.17)

糸数グスクは詳細はよくわかっていませんが、14世紀前半に糸数按司が築いた城で、上間按司に攻められ落城したと伝わっています。沖縄南部最大といわれる長く続く見事な城壁は見ごたえがあります。
私はツアーで攻城しましたが、登城口付近に「糸数入口」バス停があります。

☆久米島具志川グスク(候)、宇江城グスク(候)、安慶名グスク(候)

選定の経緯

九州・沖縄地方は、東京からは最も遠隔なうえ、公共交通機関では攻城しにくい城も多くあります。幸い定期的に催行された山城ツアーに参加して多くの名城を攻城できたため、選定数が多くなりました。
福岡県は、山城に素晴らしい城が多く悩みましたが、立花宗茂関係で立花山城と雄大なスケールの障子ヶ岳城を選定しました。なお、候補に挙げた御所ケ谷神籠石は神籠石関係としては素晴らしかったです。

佐賀県も遺構の残る山城が多く、岸岳城、葛籠城も候補になりましたが、一番攻城がきつかった獅子ケ城を選定しました。
長崎県は、山城から近世城郭まで時代や地形によって。さまざまなタイプの城があり、それぞれから選定しました。
熊本県は、比較的悩まずに選定ができました。天草に評価の高い城が多いことに気が付きました。
大分県は、本来は団員の評価の高い長岩城を選定すべきなのですが、未攻城なので選外としました。
宮崎県は、攻城数が少なく、候補が少ないため、あまり苦労せずに選出できました。
鹿児島県は、候補となるような平城がなく、シラス台地を削った大きな山城を選定しました。
沖縄県は、いくつか候補があがりましたが、一番印象が強かった糸数グスクを城選定しました。

今回紹介したお城一覧

立花山城
秋月城
障子ヶ岳城
鹿島城
獅子ケ城
玖島城
対馬清水山城
梶谷城
日野江城
佐敷城
堅志田城
富岡城
杵築城
高鍋城
都於郡城
穆佐城
清色城
伊作城
糸数グスク
   
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