団員ブログ by 攻城団 攻城団団員による団員のためのブログ

長島城攻城記

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私は車の運転をしないので、山城ツアーに参加することもありますが、原則として公共交通機関と徒歩(たまにレンタサイクル)で攻城しています。
自動車やバイクで攻城するよりも、非効率で時間もかかりますが、別の楽しみもあります。長島城(三重県)を例にして、私の攻城スタイルを紹介します。

準備

今回は紀伊半島東側に点在する城を紀勢線を乗り継いで攻城する遠征です。
まず、攻城予定の城への交通機関(鉄道駅やバス路線の時刻表や停留所の位置)、登城口までの経路などの情報を収集します。攻城団の城ページや他の資料を当たるのですが、よくわからないまま、見切り発車で現地に向かうこともあります。

幸い長島城は、攻城団の城ページに、登城口が長島神社にあること、駅から徒歩20分程度であることが記載されていて、地図をみると道もわかりすいので、これだけで十分です。

出発

前日、鬼ヶ城と後山城を攻城して尾鷲市に宿泊したので、朝、尾鷲駅から列車に乗り紀伊長島駅で下車します。

ここから出発します。

駅前の道を左に道なりに進み、最初の信号を左折します。

道なりに進んで踏切を渡り右側にさらに進みます。

赤羽川河口にかかる長島橋を渡ります。左方向はすぐに太平洋に至ります。

橋を渡って突き当りの細い道に入ると、いかにも旧街道の雰囲気が漂います。かつては、賑わっていたのでしょうが、今は人通りが全くありません。

交差点に熊野古道を示す、古い石碑がありました。「北 右くまの」「西 左いせ」とはっきり読むことができます。

石碑を右折してまもなく、予定通り駅から25分で長島神社に到着しました。
なかなか大きな神社で駐車場も十分です。後に調べてみると、紀伊長島駅から長島神社まで、ずっと熊野古道を歩いていたことがわかりました。

長島神社の由緒です。長島城が焼き討ちにあったとの記載があります。

登城口です。登城口との標識はなかったのですが、団員の写真を見ていたのですぐにわかりました。
また、団員の訪問ガイドには、トレッキングシューズでなくとも問題なく登れること、登城口から愛宕大権現を経て約25分で城址に着くこと、主郭北から西へ連続する竪堀、堀切などが確認できることなど、攻城に十分な情報が書かれていました。 

急な坂をしばらく登ると愛宕大権現の小さな祠に着きました。
ここで、大きな荷物を背負って休憩している5人の男性に遭遇しました。彼らは通信会社の職員で、主郭にある無線機などの交換と点検のため登っていました。

愛宕大権現社の横に、新しい道標がありました。これにしたがって、再び登城路を登ります。

途中石積みがありましたが、目立った遺構は特に見つけられませんでした。

ほとんど休まず登ったので、登城口から25分で本郭に着きました。立派な城址碑が立っていました。

本郭の現状です。予想よりも狭い感じでした。

本郭の一角に烽火台と思われ微高地があり、通信施設がありました。
先ほど出会った人たちはここを目指していることがわかりました。

通信施設のすぐ近くに古い案内板が立っていましたが、ほとんど判読ができませんでした。

攻城後、登城路を下りていくと、先ほどの職員らと出会いました。
彼らは、荷物が重いので、途中休みながら登っているため時間がかかるそうです。私たちが当然のようにスマホなどを使用できるのは、こうした人たちのおかげなのだと感謝しました。

長島神社の社殿です。無事に攻城できたことを報告しました。

攻城後、駅に戻る途中に、長島城主加藤家の菩提寺である長楽寺に参拝しました。
多くの古文書が伝わっているそうです。

長楽寺の境内に、石製の長島城の説明板がありました。
文面は、本郭にあった古い案内板と同一であるとわかり、少し前に、何とか判読しようとした自分が少し可笑しくなりました。参拝後、朝に来た道を戻って、紀伊長島駅に着きました。

終わりに

予定より、早く駅に着いたので、近くのスーパーでビールとつまみを買ってきて、誰もいない駅待合室で長島城を攻城したことに一人で乾杯しました。
車で攻城する団員には絶対味わえない至福のときです。1時間ほど待って、次の列車で多気に向いました。

   
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