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思い立ったが吉日! こんにちは、toproadです。
2025年1月1日~1月3日まで、大分県南部を攻城しましたので、その様子を書いていきます。
1月1日は府内城、大友氏館、鶴崎城を攻城しました。
前置き
飛行機から見える景色
前に書いたと思いますが、飛行機は窓際に乗りたい派です。
何回乗っても離陸する時は翼を見てるし、道中も「どの川もどこかで曲がって流れているなあ」とか、「あれはゴルフ場だなあ」とか、「そこそこ高い山の盆地みたいなとこにも家があるなあ」とか、信長の野望の3D地図を眺めるかのごとく景色を見ています。
攻城記録
セントレアから大分空港へ
県営名古屋空港(小牧空港)から大分への直行便はないので、車でセントレアまで向かいました。
そこから飛行機で約1時間で大分空港に着きます。
大分空港から府内城
荷物を受け取ったら、右手にある券売機でバスのチケットを買います。
荷揚町まで1,600円、僕は券売機でチケットを買いましたが、交通系のカードをバスの乗り降りの際にかざしても乗れるようです。
出口を出て左手の1番乗り場からバスに乗ります。
僕が乗ったのは別府経由のバスでした。
Xのバスに乗っても、Kのバスに乗っても、荷揚町には停まります。
Xのバスは大分駅までは直行なので所要時間は約1時間、Kのバスは全ての停留所を経由するので所要時間約1時間10分です。
荷揚町から府内城
荷揚町のバス停で降ります。
バスの進行方向と逆側に案内が出ているので、それに沿って歩くと約3分で西側の堀に着きます。
ちなみに大手門は南側(右手の方向)にあります。
府内城
300m四方くらいの小さなコンパクトな城域ですが、櫓があったり、天守台が残っていたりしています。
簡単に見ると攻城時間は約30分くらいかな? と思いますが、時間があったので、僕は1時間30分かけて攻城しました。
コンパクトな城域なので外周ウォークから。
まずは廊下橋。北西にあります。
人質櫓。犬走りがついています。
でも、犬走りのないところもあったから、復元なんだろうか。平面のところがコンクリートみたいに見えたけど。櫓自体は1861年から残っているとのこと。
石垣の新旧の見分け方はいつも知りたいと思うポイントです。
扇櫓跡。北東にあります。
鬼門除けなんですが、石垣が扇状になっていて、櫓には邪気を入れないために窓がなかったようです。
(写真の左の石垣が扇状になっている)
二階櫓。かつては見えてる堀の内側にも堀があって、そこと城内がつながっていたとのこと。
この他にも南側、西側にも櫓があります。
歴代城主の表。長い間、大給松平家が城主だったようです。
大手門。さあ、城内へ。
雁木。登れるなら登りたいけど、登れなさそうだったのでやめときました。
華頭窓。南側の壁についています。黒い窓枠はついていません。
朝田丸さんの塀の記事だと西側の塀については当時のものということでしたが、大手側(南側)のこの塀は当時のものなんでしょうか?
当時のものとなると、華頭窓も当時のままということになりますね。
冠木門跡。すごい盛り上がってます。
天守台。火山岩である角閃石安山岩(かくせんせきあんざんがん)とのこと、高崎山の海岸部から運んだもののようです(大分県庁ホームページより)。
確かにところどころに穴や波紋みたいなものがありました。
ちなみに角閃石安山岩は弥生時代に石器に使われたやわらかい石とのことです。
高崎山は別府と大分の間くらいにある山です。行きのバスで近くを通ってました。
こんなにまじまじ石垣を見たり、種類を意識するようになったのは、はらぽんさんのおかげです。ありがとうございます。
コンパクトな城域と聞いていたのでスーツケースを持ったままだったんですが、天守台に登る階段の段が狭くて苦労しました。と、いっても、荷物を預けれるところがなかったんで仕方なかったかなとも思います。
大友氏館
府内城から歩いて20分くらいで途中、泊まるホテルにスーツケースを預けて、更に歩くこと10分くらいで大友氏館に着きます。
スーツケースを持っているからレンタサイクルは使えなかったにしても、ホテル近くまでバスで移動してもよかったかもしれません。
北側の駐車場奥で発掘調査をしてました。
当時の建物は何も残っていないのですが、主要な建物を復元する予定があるようです。
南蛮BVNGO交流館の駐車場にある看板です。正月なので、交流館は閉まってました。
鶴崎城
暗くなるまでにはかなり時間があったので、鶴崎城へ向かいました。
電車に乗るために大分駅へ向かいます。大友氏館から徒歩約10分で大分駅に着きます。
駅前の広場に大友宗麟さんとフランシスコ・ザビエルさんの銅像があります。
鶴崎城は大分駅から日豊本線で臼杵、佐伯方面の電車に乗って約10分の鶴崎駅が最寄りになります。
鶴崎駅から徒歩約10分で鶴崎城です。
鶴崎城跡の鶴崎小学校の中に城跡碑がありますが、正月で門も閉まっていたため、門の外から眺めました。小学校の東側にあります。
南東の角に案内板が立っています。
攻城団の案内文には吉岡氏について書かれていますが、現地の案内板にはそのことはあまり詳しく書かれていません。
まだまだ時間があったので、近くにある法心寺にも行きました。
鶴崎の地が加藤清正さんと縁があるということで、銅像がありました。
おまけ
府内城にはたくさんネコがいました。
石垣を登ったり、降りたりする黒ネコ。忍びのように自由自在。
「犬走り」ならぬ「ネコ走り」になっていました。
冬だけど天気がよくて風もなかったから眠くなりますね。
冠木門跡の上で寝てた。草と毛色が近くて保護色になってました。
人が近づいてもあまりおびえない。
この石垣の上にも。
高いところが好きなネコには石垣は格好の遊び場なのかも。
まとめ
1日で5kmくらい歩きましたが、他の団員さんの書いてくれたブログの内容を実際に自分の目で確かめるいい機会になりました。
この地では大友宗麟の影響力もやはり大きいと実感しました。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。今回は以上です。