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思い立ったら吉日! こんにちは、toproadです。
1月3日に臼杵城を攻城したのでその様子を書いていきます。
今回の遠征の最終日となります。
攻城記録
島城? 臼杵城
大友宗麟の時代は四方を海に囲まれた城だったという臼杵城、今は埋め立てられて周辺も陸地になっています。
古橋門から大門櫓方面を見上げます。
ものすごい要塞感。
高いところに門があって、そこまでに石垣が積まれていると要塞感を感じずにはいられません。
橋を渡る手前に穴のあいた石があります。
ここの石も阿蘇溶結石灰岩(あそようけつせっかいがん)とのこと。
案内板に書いてありました。
城跡碑。
橋を渡る手前にあります。
畳櫓。
現存の建物とのこと。
鎧坂(あぶみざか)を登った正面にあります。
畳櫓の後ろに大門櫓があります。
大門櫓から城内に入るようになったのは稲葉貞通が改修してからとのことで、その前は城域の周りをぐるっと回りこんで城域に入っていたとのこと。
ということで、昔の導線に従って歩いていきます。
城域の外周、本丸下あたりの石垣。
崩落したのかな? と思いましたが、護岸工事用に石を持っていってしまったあとのようです。
城域内に入って、本丸下の石垣。
ここも上半分の石がなくなっていました。
城域の東から見る景色。
今は建物が建っているところも昔はキワまで海だったと思われます。
右端に津久見島(つくみしま)が見えます。
卯寅口門脇櫓。
これも現存。城域の南東にあります。
鉄門桝形石垣(くろがねもんますがたいしがき)にある鏡石。
近世城郭にはどこの石垣にも鏡石がありますね。
権威の象徴。
本丸が二の丸、二の丸が本丸?
本丸前、南側の空堀。
ぐるっと巡っている訳ではなくて、西側だけにあります。
今はコンクリートで固められてますが、昔は土橋だったと思われます。
本丸前、北側の空堀。
大友時代はこちらが二の丸、今の二の丸が本丸だったようです。
この空堀も稲葉時代に作られたもの。
天守櫓跡。
本丸の北西にあります。
城域の西方面に歩いていくと、フランキ砲(国崩)のレプリカがあります。
平和な時代を生きている僕には威力は想像できないですが、国が崩れるほどという名前なので相当な威力だったと思います。
大友時代には本丸だった、現在の二の丸。
稲葉神社になっています。
歴史を知らせる案内板の中に「鬼門」についての記述がありました。
「津久見島」という名前がついていますが、住所的には臼杵市のようです。
東から海をながめた時にあった島が津久見島です。
井楼櫓跡。
左に写っている雁木から登れます。
南西方向が見えます。
まとめ
今では埋め立てられて陸になってしまっていますが、埋め立てられる前は難攻不落の要塞だったのではないでしょうか。
レンタカーを返す時間の都合上、日の出直後くらいの攻城になりましたが、犬の散歩をしている方もみえました。海が見える公園になっているので散歩にはもってこいなんでしょう。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。今回は以上です。