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自分的ルーツ探訪(2)大森郷祭

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思い立ったが吉日! こんにちは、toproadです。

城や歴史の話が全然出てこないじゃん! と、言わずに今回の内容にもお付き合いいただけるとうれしいです。

ウザいくらいの地元愛ですいません。

さて、予告通り、名古屋市守山区大森で10月20日(日)に行われた大森郷祭を見てきました。

今年は5年に1度の大森郷祭の年でした。

普段は秋季例大祭で巫女、棒の手、餅投げと屋台だけなんですが、今年は馬の塔込みの行列で大森、天子田学区を練り歩く大きな祭りです。

大森郷祭のパンフレット

育った町の祭り

僕の生まれは鳳来町(現新城市)ですが、名古屋市守山区大森で育ちました。

夏、秋に八剱神社で祭りがあって、小学生低学年の頃は子供会で獅子舞の行列に参加、夏は夜に、秋は昼に出る屋台に足を運んでいました。

高学年になると夏は山車の中で太鼓を叩き、秋は棒の手をやっていました。

中学生になると、ラグビー部に入って、厳しい練習と休日の試合で棒の手からは離れてしまいました。

余談ですが、ラグビーを始めてからは八剱神社は「ロング」という長距離走の出発点になっていたのでいい思い出はありません。

今日、棒の手を一緒にやっていた同級生と久し振りに少し話が出来ましたし、息子さんの棒の手を見に来ている同級生も見かけました。

僕は地元を離れてしまったのですが、祭りや棒の手はずっと続いてほしいと思います。

鉄砲隊があったり、棒の手をやったり、その頃から僕は歴史への興味の扉を開けつつあったのかもしれません。

秋祭りの屋台

火縄銃発砲

行列の中に鉄砲隊がいて、ところどころで鉄砲隊の発砲(空砲)があります。

1つの場所で1人が4発くらい撃ちます。

ものすごい音がするので、その音を体験すると、合戦の時に馬がその音にビビるっていう説に説得力が増します。

鉄砲隊発砲

発射準備で火薬を詰めて棒でツンツンしている姿も見れました。

発射準備

長い行列

大森郷祭の起源について、大森共存会発行、「わが郷土大森郷祭の歴史」から引用します。

大森地区で5年に1回、八剱神社の秋季例大祭に合わせて行われるのが大森郷祭です。起源は江戸時代の「飾り馬」を寺社に献馬する風習であり、「馬の塔」通称オマントと呼ばれていました。この地方では同じく江戸時代に「竜泉寺合宿」という祭礼があり、大森では「大森合宿」として近くの10ヶ村を誘って竜泉寺に献馬をしていました。それが昭和11年まで存続しました。そして、現在では大森地区地区のみで八剱神社に各島から飾り馬を献馬する「郷祭」として平成26年に復活しました。祭りの内容としては、隊列を組んで大森の3学区を練り歩き、最後に八剱神社に飾り馬を奉納するものです。隊列は早朝に大森小学校で出発式を行った後、大森村と墨書きされたのぼり旗を持った人と毛槍を先頭に、実行委員長、そして各島で選出された人たちからなる「笠脱ぎ」「杖付」と続き、さらに鉄砲隊と棒の手隊が連なって、最後に並ぶのが飾り馬です。また、「中割」といって、隊列の前後を移動して行列が分裂しないようにする役割を担う人もいます。飾り馬は3色の「馬廉(ばれん)」というもので飾られています。とにかく長い行列で全部で何百人もの人が連なることになります。行列は途中数ケ所で棒の手の演武や鉄砲隊の発砲を行います。

パンフレットの下に書いてあるように、幟半持ちを先頭にして、毛槍持ち、笠脱ぎ、杖付、中割(ピエロ的役割の人)、鉄砲隊、棒の手隊、馬隊という陣容で町を行列します。ところどころで馬を走らせたり、棒の手を披露したりします。

行列の先頭
笠脱ぎ
杖付
鉄砲隊
棒の手隊

名古屋まつりの流派紹介でもあったように、大森の祭りにも「シマ」があります。

西島、中島、東島、新田です。

大森学区の西が西島、真ん中が中島、東が東島、天子田学区が新田です。僕は中島でした。

それぞれのシマの馬の塔に特徴があって、飾り付けが微妙に違っています。

(どれがどのシマかは分かりませんでした)

馬の塔1
馬の塔2
馬の塔3
馬の塔4

棒の手奉納

行列が八剱神社に着いたら、馬も境内に上がり、鉄砲隊が発砲する中、棒の手も始まります。

八剱神社は延暦12年(793年)に、この地方を支配していた豪族の山田の連(むらじ)によって大森北八剱の地に創建され、後に大森の元郷に近い中ノ町田に遷座されたと伝えられます。その後、度々の水害のため中ノ町田の地より現在地に再び遷座されました。「八剱」の名称は熱田神宮の別宮で、宝剣をご神体とする「八剱宮」に由来すると思われますが、当社がいつごろからこのように呼ばれるようになったかは明らかではありません。当社には建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、日本武命(やまとたけるのみこと)、天之火明命(あめのほあかりのみこと)の三柱の神が祀られていますが、そのうち前二神は「八剱宮」の祭神と同じです。天之火明命は尾張氏の祖と伝えられる神で、境内神社尾関社の祭神でもあります。したがって、古代に、尾張氏の一族である山田の連が祀った祖霊を、中世には大森城主尾関氏が受け継ぎ、それに「八剱宮」の信仰が取り入れられたものと想像されます。いずれにしても八剱神社は大森の人たちが古代から受け継いできた由緒ある神社で、毎年10月19日を例祭日として大祭の祭事が行われています。

八剱神社の由緒について、入口にある由緒の碑から引用します。

「中世には大森城主尾関氏が受け継ぎ」

大森城!!!

もう一度書かせてください。

大森城!!!

学校でも習ってないし、城跡碑も説明板もないし、攻城団でも未登録なので知らなかったけど、大森城ってあったんだ!!!

すいません、取り乱しました。

一地方のマイナーな祭りの紹介の文章が、急に城とつながりました!

大森城 (尾張国) – Wikipedia

八剱神社
棒之手碑
碑の下の文
八剱神社本殿
棒の手、餅投げ会場
棒の手隊、入場!

さて、棒の手です。

子供や若手は1人2回、師匠は1回あるかないか、出番があります。

子供の発表会的な要素も強いのでギャラリーは親御さんが多いのかもしれません。

師匠vs師匠のガチなやつは後半に少しだけという感じです。

未来の師匠候補?

新田の内容は他の3つのシマと違う内容も多く、特徴的です。

新田、鎌vs刀
鎌、フルスイング!
鎌の勝ち!

ちなみに、足元に見えている白いものはご祝儀で、5円玉か10円玉が入っていて、1回の祭りで1万5,000円くらいもらえます。

ご祝儀を集める

新田の最初は分からないですが、他の3つのシマは棒vs棒の「八つ打ち」って内容から始めます。

その「八つ打ち」を2組でやるのが「4人棒」です。

4人棒
この組み合わせで始めて
相手が変わる

十手もあります。これも新田が多い印象。

薙刀vs十手
やっぱり飛びます!

新田の「棒合い」です。最初に棒を持ってないのも独特。

素手からスタート

昨日も書きましたが、検藤流のハイライト、どのシマでもあるのが「受けて、伸びて、押さえ込み」です。

受けて
伸びて
押さえ込む

今回は中島でも僕があまり見たことない十手もやってました。

身長差
軽快にジャンプ!
薙刀に乗って、扇子でフィニッシュ!

2vs1もありました。

息を合わせてかわす
2人とも討たれる

師匠の技も堪能します。棒の手は暗闇で戦ってるっていう設定もあるって聞いたことがあります。

危機一発!
師匠はガチ!

新田には槍もありました。

槍vs刀
槍の勝ち!

棒の手が終わると、餅投げが始まります。でも、餅投げは音楽ライブでいう「モッシュ」状態(押しくらまんじゅう状態)になるので、メガネをかけてきた僕は餅投げに参加せずに撤収しました。

大森寺

大森の人は祭りのある八剱神社はよく知っているのですが、大森寺には行ったことない人、知らない人が多いと思われます。僕もその中の1人です。

ホームページからの引用です。

興舊山(こうきゅうざん)歓喜院(かんぎいん)大森寺(だいしんじ)は尾張二代藩主徳川光友公の生母である歓喜院(かんぎいん)(お尉(じょう)の方)様の菩提と徳川家御一門を弔うため寛文元年(1661年)に創建されました。大森村を訪れた初代藩主徳川義直公に見初められ、二代藩主、光友公を産んだお尉の方様の菩提を弔うことから、良縁・縁結び、子の無事成長・立身出世・健康長寿のご利益寺院として、また、学業・合格の祈願寺としても親しまれています。

大森寺の看板

徳川光友さんに関係がある寺ですが、僕も今回、初めて境内に入りました。

大森寺があるということは知っていても、尾張の歴史にものすごく関わっている場所だってことは地元民には伝わっていません。それもこれも八剱神社の方が祭りもあってつながりを感じやすいということだと思うんです。

大森寺本堂

まとめ

今回は自分のルーツの1つである棒の手、大森の郷祭を見てきました。

いい歳したオッサンがおらが村の自慢をするだけのブログになりそうでしたが、何とか城につながったり、尾張徳川家につながったりで、多少は読んでもらえるものになったかなとは思います。でも、流派の紹介や郷祭の説明、八剱神社の由緒や大森寺の解説の引用は長かった。

それでも、地元の祭りの起源は古く、それに携わっていたことを改めて嬉しく感じました。

僕みたいに地元から離れる人も多いし、子供も少なくなる中で、学校でも地元の歴史や祭りについて教えるようにしてもらって、後継者に恵まれてずっと続いていけばいいなと思っています。

これを読んで興味を持っていただいた方、名古屋まつりも大森の秋季例大祭も来年になるので、忘れずに覚えておいてください。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。今回は以上です。

   
この記事を書いた団員

toproadさん

愛知県小牧市在住の団員です。 鳳来町(今は新城市)の長篠城近くの生まれ、名古屋市育ち。 話す言葉は名古屋弁です。

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