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はじめまして、はらぽんと申します。大学時代には地質学を専攻しておりました。
初参加だった第6回団員総会においてお城と地質の話をしたところ「団員ブログに書けばいいのに!」とご意見いただいたので、ちょっと書いてみることにしました。
石垣と地質
石垣に用いられる岩石には様々な種類があります。遠方から運んでくる場合もありますが、近場から切り出していれば、石垣がそこの地質を反映している、ということになります。
萩城の詰丸にある、石切場の跡です。矢穴がたくさん見られます。
チャート
チャートは、放散虫などの微生物が海底に堆積してできた岩石で、非常に硬いのが特徴です。
岐阜城が建つ金華山は主にチャートから成り、石垣にはチャートが使われています。
復興天守の石垣は積み直しですが、石垣の基部にはチャートの岩盤が露出しています。
登城道では、褶曲(しゅうきょく:地殻変動により地層がぐんにゃり曲がること)したチャートの岩盤を見ることができます。
写真奥は金華山で、山頂付近に復興天守が見えます。
海底で堆積したチャート。チャートから構成される金華山。つまり、大昔には金華山は海の底だったということになります。
岐阜城から石垣や建物が移築されたと伝わる加納城でも、チャートの石垣を見ることができます。
石灰岩
石灰岩は、サンゴや貝殻などが海底に堆積してできた岩石で、その多くに化石を含みます。
石灰岩の石垣といえば、グスク。写真は座喜味城です。
グスクの石垣に使われる琉球石灰岩は比較的新しい(といっても165万~12万年前だそうですが)時代に形成され柔らかいため、様々な形状に加工され、独特のカーブを描く城壁やアーチ門が生み出されています。
沖縄以外でも、石灰岩を使った石垣は見られます。写真は大垣城です。
大垣城の北西にある金生山は石灰岩から成り、この金生山から石材が調達されたそうです。
大垣城にあるこちらの石灰岩の白い点、ぜーんぶ化石です。おそらく全て「フズリナ」という生物の化石で、僕が学生の頃には、このフズリナやサンゴを扱う「古生物学」の研究をしていました。
緑泥片岩(りょくでいへんがん)
緑泥片岩は緑色片岩(りょくしょくへんがん)とも呼ばれ、ある岩石が熱や圧力の作用により性質を変えられた「変成岩」に分類される岩石で、ペラペラとはがれやすく、美しい緑色をしています。
この緑泥片岩を石垣に使っているのが、僕の生まれ故郷・徳島県にある徳島城です。ブルーグリーンの色調が美しく、「阿波青石」と呼ばれています。
山上にある徳島城本丸付近では、巨石をふんだんに用いたダイナミックな石垣が見られます。
この緑泥片岩、徳島から海を隔てて遠く離れた和歌山城でも石垣に使われています。
こちらは和歌山城天守郭の楠門をくぐった所にある石垣です。徳島城山上の石垣と、非常によく似ています。
こちらは和歌山城砂の丸から二の丸へ通じる「鶴の渓」の石垣で、同じく緑泥片岩による野面積みです。和歌山城の石垣には砂岩なども使われていますが、古い時代のものは緑泥片岩です。
どうして徳島と和歌山で同じ石材が使われているのでしょう。いずれか一方から海上輸送した……というわけではありません。徳島城、和歌山城ともに、お城の近郊から採石しているそうです。
その答えは「地層」です。四国から紀伊半島にかけては「三波川変成帯(さんばがわへんせいたい)」と呼ばれる大規模な変成岩の地層が東西に延び、海を隔て遠く離れた徳島と和歌山で、同じ性質の岩石が産出するというわけです。
おわりに
いかがでしょうか。お城が建てられた時代に思いを馳せつつ、そのはるか昔、太古の地球の営みを想像してみる……というのも、なかなかにロマンがあると思います。
それでは。