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きっかけ
去る2024年12月14日、toproadさんの企画する城がたり「よくわかる小牧山城」に参加させていただきました。その中で「岩崎山(いわさきやま)」というキーワードが出てきました。
その岩崎山が、自分の中で妙に引っかかっていました。
(そういえば、名古屋城検定の問題にも、よく出てくるキーワードだし……なんならたまに解答間違えてたなぁ……。)
先月まで、名古屋城検定の勉強をしていましたが、やはり実際に現地に行って、目で見たものに対しては理解が早いのに対し、行ったこともない場所、見てないことは記憶に定着せず、理解度が低いことがよーくわかりました。
と、いうことで予定もない日曜日、岩崎山公園を目指し出かけてきました。
腹ごしらえ
その前に腹ごしらえということで、岩崎山公園の近く「どんきゅう」にて味噌煮込みうどんをいただきました。(エセ)名古屋人なので味噌煮込みうどんをおかずに白いご飯を食べます。
なかなかこの堅い麺が食べ慣れませんでしたが、味噌煮込みならこっちも悪くないと思えるようになりました。(三河のうどんはだいたい柔らかい。)
またほかにも、周辺にはランチ営業をしているお店もあるので、ごはんには困らなさそうです。
岩崎山へ
どんきゅうから車で数分、岩崎山公園に到着しました。
公園内には、あちこちに手作りの看板があります。
駐車場の表示のあるスペースに止めました。
木にぶら下がるように、手作りのマップがあり、ガイドさんの名前と携帯の番号が書いてありました。
(画像では伏せてあります)
岩崎山は小牧長久手の戦いの際は、稲葉一徹が陣を置いた場所で、名古屋城の築城の際には花崗岩を切り出した石切り場にもなりました。
遊具や花壇などがある公園内には宅地開発のために移設された岩屋古墳もありました。
実は二周している
見出しはどういうことか、と言いますと一回目は最初に撮ったマップを頼りに石切り場があるんだね、ここそうだね、と写真を撮りつつ、サクッと見学して、車に戻るかと古墳のあたりに戻ってきたところで一人のおじいさんに声をかけられました。
私が「城めぐりが趣味で」というと、「時間があるならご案内しますよ! 私ここの管理もしている者で!」とおじいさん。
そう、その方こそ岩崎山でガイドをしている(手作りの看板の作成者)方でした。それならば、とお願いして、また同じルートを歩いて、今度は見どころを聞きながら回ってきました。
ということで、二周目の様子をお送りいたします。
めざめ石
”めざめ石”の名前は便宜上つけたとのことですが、宅地開発中の工事現場から今年発見された巨石。
矢穴と刻印があります。
これもおそらく名古屋城の築城時に使われる予定だったものだろう、とのこと。
しかしこのあたりは築城の後半になってから開削されたため、使われずに残った石もゴロゴロあり、お城や石垣が好きな人にたくさん知ってもらいたいなぁ……と、ガイドさんがおっしゃっていました。
板状節理の石切り場
六角形などになる”柱状節理”は聞いたことがありますが、”板状節理”は初耳でした。
板状節理とは
熔岩流の上下面にほぼ平行に発達し,多数の平行な板状に規則的に割れるもので,熔岩流や火山砕屑岩などの中の不均質岩が原因のものが多い.日本では小田原南方の根府川石や諏訪付近の鉄平石などがある
横から見た写真です。このように面に対して平行にヒビが入るのが特徴とのこと。
刻印石がたくさん
同じ敷地内の熊野神社の境内などにも、刻印石がいくつか。
切り出して不要になった石はそのまま神社の造営にも使われたとのことで、矢穴のある石が神社と公園全体の石垣、石段にたくさん使われていました。
こんな洒落のきいた看板もありました。
お寺のほうにも行ってみる
岩崎山の隣に杲洞寺(こうどうじ)があり、現在は道路で分断されていますが、それまでは岩崎山の一部だったとのこと。
こちらには、一枚岩の石切り場があり、名古屋城の石切りはこちらのほうが初期に使われていたそうです。
一番高いところからは小牧山城、小牧長久手の戦いの陣跡、遠くに岐阜城などが見渡せます。
これで下に降りて一周ということで、ガイドさんともお別れ。
「長々とごめんね」と言われましたが、むしろたくさん勉強させていただいたのはこちらなので、感謝を伝え、帰路につきました。
もっと勉強しよう
時々、ガイドさんに「この刻印はなにかわかる? 僕はわからないんだけど」と聞かれましたが、私も全然わかりませんでした。
はっきり言って、地元のことなのに答えられないのは悔しいです。勉強不足を痛感しました。
おそらく今年の名古屋城検定は不合格なので、「もう一年勉強できるドン!」と前向きに、行くことにしました。
長くなりましたが、読んでいただき、ありがとうございました。はつみんでした。