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こんにちは! 団員のワタナベです。4月19日(土)に開催された根福寺城・千石堀城での城たびへの参加レポートです。
今回も、幹事の黒まめさんやガイドの皆さんから「この素晴らしいお城の魅力を伝えたい!」という熱意をビシバシ感じるツアーになりました。
なお、根福寺城の敷地内は全域が私有地です。無許可での立入は禁止されていますので、ご注意ください!
殿の墓で一礼

山登りを始める前に、集合場所近くの「殿の墓」で黙祷。
ガイドの山本さんは、城跡に子どもたちを案内する際もここでお祈りするそうで、急いでいきなり山に入るよりも、こうして心を落ち着けてから入ったほうが事故も減るそうです。
私も遠くに来た時は、欲張って1日で何か所も山城に行きがちなので、心の余裕をもって山に入ることは意識したいですね。
第1の見どころ、二重堀切

山道をしばらく進むと、人の背丈以上の深い堀切に到着。
きれいなV字形が保たれていますが、硬い岩盤をぶち抜いて作られたためあまり崩れていないのかも? 当然、全て人力で掘られたものになります。

堀切の先は、登る気も失せる急斜面。絶対にここで敵を食い止めるという強い意志を感じます。ガイドの山本さんによると
「こんな大変な工事は、誰かにやれって言われてできるようなものじゃないですよ。豊臣の大軍が迫っていて、自分たちがこのままじゃ殺されると思ったからこそ、必死に掘ったのでしょうね」
大阪は豊臣のお膝元というイメージでしたが、これほど豊臣への恐怖を感じる場所が大阪にあるとは思いませんでした。
石垣が登場! その正体は……?

広い城内の中を散策中に、石垣が見えてきました。
思わず「おお、石垣!」と喜んでしまいましたが、他の団員さんからは続々と「新しい時代のものでは?」という声が……確かに防御のための石垣にしてはとっても登りやすい!

正解は、江戸時代に茶畑として使われた際の遺構でした。付近には野生化した茶の木が生えており、その説明のためにあえて切らずに残しているそうです。
最大の見どころ、畝状竪堀群へ!

尾根部分の平たい場所を歩いていくと、少し開けた場所へ。
ここの急斜面の木の伐採も山本さんたちがやっていただいたそうで、こんな急斜面を整備するなんて大変だなーと気楽に構えていましたが……。

「じゃあ、こっちに降りていきますよー」
全く道には見えない場所をスイスイと進む山本さん。見失ったら、絶対に迷う自信があります(汗)

斜面を降りて少し進むと、立派な竪堀が見えてきました。

写真では伝わりづらいですが、人がすっぽり入る深さの堀が次から次へと出現します。
かなり大規模な遺構なのですが、この畝状竪堀が作られた目的は不明だそうです。近くに防御すべき曲輪の無い斜面に竪堀がびっしり並んでいるわけで、手間暇かけて作った理由は何でしょうねぇ……?
頂上からの絶景

斜面を再び登り、西側の頂上へ。
遠くの市街地の中に、これから行く千石堀城の小山が見えます。秀吉軍に千石堀城が攻められた際は、ここから狼煙がはっきり見えたようです。

反対側の根来方面の山々。
この根福寺城でも狼煙を上げることで、大阪平野部の情報が和歌山の山奥まであっという間に伝わったそうで、様々な手段を講じて秀吉へ対抗しようとしていた様子が見てとれます。

山本さん曰く、「ここまで苦労して登ってきて、その苦労の果てにこの景色を見てほしい」とのこと。一息ついて、十分に絶景を堪能しました。

みんなで写真撮影後に帰路へ。狭い道も多く、慎重に進んでいきます。

殿の墓まで無事に帰還! ガイドの山本さんにみんなでお礼を言いました。
千石堀城へ

根福寺城から降りて千石堀城へ。ガイドの則岡さんからお話を聞いてスタートします。

城に入ってすぐに堀底っぽい場所へ。
しかしこれは鉄道建設のために切り開いた場所で、お城の遺構ではないようです。

城内にはお手製の看板が設置されていて、今どこにいるのか確認しながら進みます。

ゆるめの坂を登った先には広い空間の本丸へ。
草木に覆われていますが、本丸の周囲はしっかり堀で囲まれていて、しっかり高低差も感じられます。

入口まで降りてきて、ツアー終了です。ガイドの皆さん、ありがとうございました!
城たびを終えて
毎回城たびに参加するたびに思うのですが、地元ガイドさんの熱量がすごいですね!
根福寺城では山本さんが、我々が遺構を見ている間に小さなクワを振るって道を作ってくれたり、千石堀城をガイドしてくださった則岡さんからは、城巡りで北海道から沖縄まで行った話をしてくださったりと、「ここに来てくれたからには楽しんでほしい」という思いがとてもよく伝わってきました。
最後になってしましましたが、この城たびを企画してくださった黒まめさん、こうの団長、楽しい城たびをありがとうございました!