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こんにちは、はらぽんです。
前回の記事に多くの「あっぱれ!」を頂き、恐縮です。さて今回は、地質がどのようにお城に活かされているのか、いくつかの近世城郭を例に見ていきます。
岩盤とお城
山や丘陵を構成する岩石・地層が露出しているのを地山や地盤と呼ぶ場合もありますが、本記事では「岩盤」に統一させていただきます。
むき出しの強固な岩盤は、築城においてさまざまに利用されています。
岩盤と根石(岡山城)
軟弱な土壌に石垣を築くには胴木を敷くなど工夫が必要ですが、頑丈な岩盤がある場所なら、そのような心配は無用です。
岡山城にある、本丸本段の高石垣です。隅部の真下に岩盤が見えており、根石として石垣を支えているのが分かります。
岩盤と枡形(彦根城)
岩盤が大きく露出し高さのある場合、城壁として利用することもできます。
彦根城太鼓門手前の枡形には、岩盤をそのまま城壁として利用している部分があります。
彦根城が建つ城山は、前回紹介した「チャート」から成り、そのチャートが大きく露出しています。
石垣と比較すればその大きさが伝わるでしょうか。階段を上ると正面に見える位置にある巨大な岩盤は、鏡石としての役割もあったかもしれませんね。
岩盤をフル活用(備中松山城)
山城唯一の現存天守、猫城主などで有名な備中松山城。
しかし個人的には、このお城の魅力は至る所に露出する巨大な岩盤と、その岩盤と石垣の華麗なコラボレーションにあると、思うんです。
備中松山城が建つ臥牛山は花崗岩(かこうがん)から成ります。
大手門脇にそそり立つ巨大な岩盤と、その隙間を埋めるように築かれた石垣は、初めて見た時震えました。これだけの高石垣をゼロから築くのは大変ですが、もともと存在する岩盤を利用すれば、わずかな石積みで済みます。
天守台も、岩盤を利用しています。
二重櫓台は大部分が岩盤で、上部のみ櫓を建てるために石垣が積まれています。
これだけ岩盤があちこちで見られ、それを見事に取り込んだお城は他にないだろうと、信じて疑いませんでした。2024年12月15日、あのお城に行くまでは。
岩盤をありのまま活用(苗木城)
2024年12月15日に訪れた、苗木城主郭部の全景です。
露出していない所がないくらい山全体に見られる岩盤、その上に載る丸っこい巨岩、岩盤の隙間を縫うように積まれた石垣。僕がこれまで訪れた城跡とは一線を画す異様な光景に、目を疑いました。
苗木城のある高森山は花崗岩から成ります。しかし、同じ花崗岩から成る備中松山城の岩盤とは、随分と見た目が異なります。
丸い岩盤を取り込み複雑な形状をした、大矢倉跡石垣です。
花崗岩はマグマが地下深くでゆっくり冷え固まった「深成岩(しんせいがん)」に分類され、岩盤にかかる力や冷却に伴う収縮などにより「節理」と呼ばれる割れ目が発生します。
苗木城の場合は「方状節理(ほうじょうせつり)」により立方体のようなブロック状に割れ、角が取れることでこのような丸い巨岩になったと考えられているそうです。
麓の「苗木遠山資料館」にある、苗木城の復元模型です。(※展示物はこの模型など数点のみ撮影可能)
巨岩がゴロゴロし平地の少ない苗木城では、岩盤を削ったり石垣を積むのではなく(もちろん石垣により平地を確保している箇所もありますが)、天守や御殿などに懸造を用いることで、凸凹な岩盤上にも復元模型のように建物を築いていたそうです。
平地がなければ、平地じゃなくても大丈夫な建物にすれば良いじゃない、という発想。それを実践する技術。いやはや驚きです。
岩盤に穿たれた柱穴を見ると、ここに直接建物が築かれたと分かります。
天守台に至っては、巨岩に柱穴を設けただけという潔さ。懸造部分が復元され、上部に展望台が設置されています。
巨岩天守台の上に復元された懸造の木組みに、かつての天守の姿を想像します。
巨岩ときどき石垣、の苗木城。これだけ岩盤をありのままに活用している近世城郭は、他にないように思います。
おわりに
いかがでしょうか。硬い岩盤をうまく使って、お城の守りを固める工夫には感嘆させられます。
なお、今回取り上げた苗木城については、3月に城たびが開催されます。参加申込受付中のようなので、興味ある方は是非。地質が好きな方にも、そうでない方にも、全力でオススメできる素晴らしい城跡です。
それでは。