団員ブログ by 攻城団 攻城団団員による団員のためのブログ

続・究極の土と堀切の城 久米城 

こちらもご覧ください!(広告掲載のご案内

こんにちは ばやしです。今回も茨城県で究極の土の城に出会えましたのでブログでご紹介したいと思います。

最近PHP文庫の「佐竹義重」を読んで、ますます茨城県のお城に興味をもち、団員の方の攻城記録や写真を見ているうちに、既に攻城した小幡城、島崎城に負けず劣らず素晴らしい土の城がまだまだあることを知って、平日の朝から茨城県常陸太田市を訪れました。

攻城計画

  • 常陸太田駅でレンタサイクルを借り馬坂城・久米城・太田城をまわる
  • 時間があれば南酒出城にも足をのばす

常陸太田駅の観光案内センターでレンタサイクルを借りました。
ここのレンタサイクルは親切にも3時間以内・5時間以内・6時間以上と時間で金額が設定されていて、事前のシュミレーションの結果3時間で戻りますと案内の方にお願いし自転車を借りました。

攻城開始

今回の行程はまず佐竹寺に向かい、そこから馬坂城を見て久米城に行き、峠を越えて太田城を見て郷土資料館に時間があれば寄って常陸太田駅に帰ってくるコースです。

第一目標の馬坂城に行く途中に、佐竹氏代々の祈願所である佐竹寺に寄りました。
茅葺の本堂は国の重要文化財で重厚感を感じさせ、さすが佐竹氏の寺と思わせる雰囲気がありました。

そこから細い道を行くと馬坂城がありました。
この城は、平安時代末に、新羅三郎義光(源義家の弟)の孫で、佐竹氏の祖とされる昌義が築いた城郭です。約6032m2の敷地に3つの曲輪を設けた平山城で、北を鶴が池、西南を山田川まで広がる湿地帯に囲まれた、まさに自然の要塞とのことです。

ただ最初は本郭を見て陣屋風の城跡と思いきや、北側には4つの強力な切岸と堀切があり、西側に伸びる曲輪の保存状態が素晴しく、今回この城がメインになるくらい馬坂城に魅せられました。

馬坂城でかなり時間を使い何とか今回の最大の目的地である久米城にたどり着きました。
ただ平日で休みを取って来たため会社からの電話が度々鳴り、そうこうしている内に団員さんの写真にあった駐車場の縄張図を取り損ねました。

取りあえず空き地に自転車を止めて登城口より石段を登っていくと鹿島神宮の鳥居に出ました。
そこからかなり広い城域のためまずは西の城から攻城することにしました。久米城の城の規模は南北700m東西300mで鹿島神社のある東の城、その北西にある西の城を中心に北の出城と南の出城を備えた超大型の山城です。

「堀切」の看板がありいきなり深い堀切に出くわしました。とりあえず看板の「順路」を目当てにV字谷と呼ばれるところを進みました。

垂直の崖と呼ばれるV字谷の切岸を見ながら歩くと、その先に二重堀切がありそこで縄張り図を見つけることができて正直ほっとしました。

縄張り図があると自分の位置がわかり山城は特に安心します。
写真に収めてそこから西の城に向かいます。縄張り図を見て相当広いなと感じます。鳥のさえずりが聞こえるだけで平日の朝のためか人の気配はありません。

行く手に堀切が何度も出てきます。「順路」の看板は本当にありがたいです。

西の城のTV中継所の裏を越えるとようやく物見台にでました。城下の見晴らしが最高です。

ここから北の出城に続く道にはこれでもかと堀切が連続で現れます。

下りと堀切の連続でやっと北の出城にでました。
予想どおりその下にも堀切がありました。ここから引き返し、一・二・三の曲輪の堀切を見て西の城最大の堀切方面に向かいます。

西の城の最大の堀切は城域の東北端にあり、ここから尾根づたいに太田城との連絡する道筋があったとのこと。さらに東の城への間には堀切がつづきます。もう堀切だらけで見学する足軽もくたくたです。

ようやく東の城にある本城に着きました。
標高101.3mの表示があり比較的広く佐竹氏の幟が迎えてくれます。ここまでで半分です。何て広い山城なんでしょう。まだそれほど暑くないのに汗がすごいです。

本城より鹿島神社を横目に見て、南の出城方面に向かいます。
堀切が次々にでてきます。写真では分かりにくいですが二重堀切になっています。下からは攻めにくいので南に回り込むしかありません。

今度は南側にも二重堀切が設置されています。徹底した防御態勢で足軽を寄せ付けません。

さらに南にも何本もの堀切と縦掘が続きます。堀切を作るのも結構な普請です。

あと横堀は等高線と平行に斜面を削り込んだ大普請で作られた可能性があるとの説明でした。

やっと南の出城にでました。ただここが端ではありませんでした。本当に広い。

山の神と呼ばれる大山津見神を祭神とした場所が城域の南端になります。

南の出城を経てくたくたになりながら鹿島神社に戻ってきました。
順路の看板が無数にあり道に迷うことなく無事に戻ってこれて地元の保存会の方に本当に感謝です。

最後に鹿島神社から麓に下りて、攻城終了です。少し道を下った専用駐車場でようやく縄張図を手に入れることができました。

まとめ

今回は佐竹北家の本城としての広大な久米城を満喫できました。
無数の堀切を中心に縦堀・横堀といった防御の種類の多さと地元の方の保存の良さに圧倒されました。ブログで書きました丘城のつくりの小幡城・島崎城とは違い、山城特有の土の城と最大防御の堀切を見たように思います。
あとは個人の感想になりますが防御で攻めにくい城や攻めたくなくなるような城の構造に感動を覚えました。

結局馬坂城・久米城で相当時間を使い、太田城は小学校の外から写真を撮って、常陸太田駅に戻るのに4時間30分かかりました。

ぜひともこの究極の土の城をご紹介したくブログに記載させていただきました。

長々と読んでいただきありがとうございます。

   
この記事を書いた団員

ばやしさん

現在関東に単身赴任中です。石垣好きですが、関東の城を見て土の城に魅せられています。攻城団の情報が攻城の手助けになっていてありがたいです。

ばやしさんの記事一覧を表示

過去記事からランダムで表示する
フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る