団員ブログ by 攻城団 攻城団団員による団員のためのブログ

狸親父百名城〜関東編〜

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小田城

第2 関東編 

茨城県

登録数は176、攻城数は130です。

逆井城(2015.08.11)

逆井城は逆井氏の居城として知られています。逆井城跡公園となっており、発掘調査に基づき二層櫓や土塀などが忠実に復元、整備されています。また、関宿城の薬医門が移築されたり、枯山水庭園を備えた御殿も復元されているので、城内に入ると戦国時代の地方豪族の城郭居館の中を歩いているように感じることができます。
公共交通機関でのアクセスが悪く、東武動物公園や守谷駅などの鉄道駅からバスを乗り継ぐかタクシーを利用する必要があります。

小幡城(2024.08.31)

小幡城は戦国時代に水戸城の重要な支城でしたが、佐竹氏の攻撃を受け落城しています。平地にある登城口からすぐに堀底道に入り、巨大な土塁や深い空堀が入り組んでいて、中世城郭の遺構がほぼ完全な状態で残っています。戦国時代の巨大迷路に迷い込んだような気がします(案内板がしっかりしているので、迷うことはありませんが)。
JR石岡駅よりバスがありますが、本数が少ないのが難点です。

額田城(2021.01.27)

額田城は額田氏の居城で往時はかなり大きな城郭であったようです。現在の遺構はその一部ですが、登城路もよく整備されていて多くの土塁や堀などが明確に残っています。比高差もおおきくなく、案内板等もあって初心者にも楽しく攻城できます。
額田駅から徒歩で40分程ですが、タクシー利用もできます。

小田城(2024.08.31)

小田城はかつて最弱の大名としてNHKで取り上げられた小田氏治の居城です。歴史ひろば案内所で、見学し資料をもらってから攻城しました。よく整備されていて各郭の形状もはっきりわかります。城内にあった庭園の池が再現されているのも特色です。かつては、鉄道が本丸を分断していたのですが廃線後に原状に復しています。
土浦駅から下妻駅行バス(または筑波山口行。30分に1本程度)で小田下車で案内所に到着します。

守谷城(候)、真壁城(候)、久米城(候)

栃木県

登録数は94、攻城数は83です。

烏山城(2014.12.25)

烏山城は那須氏の居城として知られていますが、江戸時代には短期間に城主が交代し、明治維新後に廃城となりました。公園になっていて道は整備されていますが、やや急な場所もあります。多くの竪堀、横堀、各曲輪の間の堀切、土塁がよく残る山城です。
烏山駅から徒歩で、途中山あげ会館に寄って烏山庁舎駐車場の登城口から攻城しました。

飛山城(2019.08.07)

飛山城は鎌倉時代に築かれた芳賀氏の居城ですが、秀吉の宇都宮仕置により廃城となりました。現在は飛山城史跡公園として土塁や空堀などの遺構がきれいに整備されおり、大手口には木橋が復元されていますが、戦国時代の城郭とは違った趣があります。とびやま歴史体験館には城や芳賀氏に関する史料が展示されています。
ライトラインで宇都宮駅から飛山城跡で降りて幟を目印に20分ほど歩きます。

西方城(2022.07.08)

西方城は西方氏の居城ですが、1597年に廃城となったとされます。開発で一部消滅していますが遺構が良好に保存され、大きな曲輪群、堀切、横堀、竪堀、虎口跡が連続的に認められます。また、登城路が整備されているうえ、解説板や順路を示す看板が随所に立っていて見学しやすく、隠れた名城の一つと言えます。
東武金崎駅からコミュニティバスが出ていますが本数がありません。徒歩でも30分程で登城口に至ります。

宇都宮城(候)、川崎城(候)、黒羽城(候)、多気城(候)、武茂城(候)

群馬県

登録数は103、攻城数は75です。

後閑城(2018.01.22)

後閑城は後閑氏の居城として知られていますが、北条氏の滅亡とともに廃城となりました。現在は城址公園としてよく整備されており、三重の堀切など良好に遺構を見ることができます。案内板等もわかりやすく多数あるうえ、 管理用道路などについても改変した旨の説明板があって遺構との区別がわかりやすくなっています。
磯部駅から徒歩で約1時間、タクシーもあります。 また、本数は少ないのですが、安中駅から柿平行きのバス「山寺」下車すれば、徒歩10分程で登城口に至ります。

高崎城(2021.9.27)

高崎城は徳川家康が廃城もとにして井伊直政に築かせ、江戸時代は藩庁がおかれた城です。現在はその一部が城址公園として整備されており、乾櫓と東門が移築復元され、土塁の上は遊歩道になっています。公園に隣接する市役所なども城域であることを考えると、かなり大きな近世城郭だったことが窺えます。
高崎駅から徒歩約15分で着きます。

平井金山城(候)、白井城(候)、松井田城(候)

埼玉県

登録数は100、攻城数は91です。

小倉城(2020.09.29)

小倉城は戦国時代の城ですが城主等については必ずしも明確ではありません。 登城口はいくつかありますが、私は大福寺に向かう途中にある林道入口から登りました。距離は長くなりますがその分傾斜は緩くて歩きやすかったです。大堀切は本郭に行く途中にあるので見落とす心配はありません。攻城後、枡形虎口から下って尾根道を歩いて日枝神社に出ました。かなりの規模の山城で、よく整備されており、縄張りもはっきりわかるので、菅谷館や杉山城と合わせて比企城館群として続100名城に登録してもよかったのではとの思いを持ちました。
武蔵嵐山駅の案内所でパンフレットをもらって、ときがわ町路線バス「せせらぎセンター行」で「田黒バス停」下車、徒歩20分です。

花園城(2021.01.21)

花園城は藤田氏の居城で「小田原征伐」の際に廃城になりました。諏訪神社の登城口から木に巻かれたテープを辿って堀底道を登っていくと、土塁や堀切、竪堀、石積などの遺構を見ることができます。
寄居駅から徒歩30分で花園神社に至ります。

武蔵松山城(候)、腰越城(候)、岩槻城(候)

千葉県

登録数は168、攻城数は135です。

久留里城(2015.01.23)

久留里城は戦国時代に里見氏の居城として知られる房総半島の代表的な城郭のひとつです。規模は大きくありませんが、城山公園として登城路が整備され、竪堀や堀切を認めることができます。二の丸に資料館が本丸に模擬天守が建てられています。
久留里駅から徒歩20分で登城口に至ります。

佐貫城(2015.03.18)

佐貫城は真里谷武田氏が最初に築いた城で、一時期廃城となりますが、1710年に再興されて以後は阿部氏の居城として明治維新まで続きました。小ぶりの城址ですが、よく整備されており、石積や空堀、曲輪跡などの遺構がよく残っています。
JR佐貫町駅より徒歩で20分ほどで入口に着きます。

館山城(候)、師戸城(候)、真里谷城(未)

東京都

登録数は69、攻城数は69です。

勝沼城(2018.03.02)

勝沼城は三田氏の居城で、後に北条氏の属城となりましたが、豊臣秀吉による小田原征伐後に廃城になりました。一部が墓地になっていますが、遺構は比較的よく残り、郭、空堀及び土塁を現認できます。登城口のある光明寺に案内板が設置されています。 
東青梅駅から徒歩10分程で光明寺の登城口に着きます。

檜原城(候)、浄福寺城(候)

神奈川県

登録数は95、攻城数は93です。

河村城(2013.06.23)

河村氏の居城で後に北条氏がの支城となりましたが、豊臣秀吉による小田原征伐後に廃城になりました。「河村城址歴史公園」として登城路や案内板が整備されており、空堀や障子堀を見ることができます。西は富士山、南東は相模湾と小田原城下と素晴らしい眺望です。
山北駅から徒歩15分程で本郭に着きます。

津久井城(2019.11.19)

津久井城は北条氏の拠点城の一つでしたが、小田原征伐の際に落城して廃城となりました。津久井湖城山公園として竪堀などの遺構が整備されています。規模の大きな山城で小さな曲輪が階段状に配置されており、本郭までの道が入り組んでいるので、城山パークセンターでガイドマップを入手して登城したほうがよいと思います。
橋本駅から三ヶ木行きバスで津久井湖観光センター下車、すぐ近くに登城口があります。

茅ヶ崎城(候)、玉縄城(候)

今回紹介したお城一覧

15逆井城
16小幡城
17額田城
18小田城
19烏山城
20飛山城
21西方城
22後閑城
23高崎城
24小倉城
25花園城
26久留里城
27佐貫城
28勝沼城
29河村城
30津久井城
   
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