団員ブログ by 攻城団 攻城団団員による団員のためのブログ

2024年の振り返りとあえて選ぶ今年良かったお城

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こんにちは、攻城団のこうのです。
アドベントカレンダーも今日が最終日ですね、ハッピークリスマス!

今年訪問したお城を振り返る

攻城団に自分の訪問記録を残していくと、自動的に「今年の振り返り」ページが作成されます。これはいつでも確認できますし、過去の(たとえば去年とか一昨年とかの)振り返りも可能です。
だいたい12月の上旬になるとトップページにボタンを用意して、簡単にこの振り返りページにアクセスできるようにしています。

2024年の攻城記録を集計する

このページは公開情報として、ほかの方も閲覧できるようになっています。
ちなみにぼくのページはこちらです。

見ていただくとわかるように、ぼくは2024年に14城(15回)を訪問しました。なお攻城団では同じお城を複数回訪問することを前提に、訪問「城」数と訪問「回」数をわけていて、仮に姫路城に3回行けば「1城(3回)」となります。

今年は城たびの年

14城のうち、姫路城、和歌山城、宮尾城、勝山城、江戸城の5城はすべて「城たび」での攻城でした。幹事をつとめてくださった山鳩さん、黒まめさん、toproadさん、狸親父さんにはとても感謝しています。
「城たびをもっと頻繁に、もっとあちこちで開催してほしい」という要望に対して「団員のみんなが幹事をしてくれたらできます」という流れで、団員に幹事をお願いする取り組みがはじまったわけですが、一年目で4回開催できたのはけっこう満足しています。

もちろん理想としては毎月開催できればいいのですが、どこまでお任せできるのか、ぼくの負担はどのくらい減るのかと手探りで進めているので、悪くないペースだと思います。
まだ試行錯誤の段階ですが、毎回気づくこともありますので、ひとつずつ改善しながらスムーズな開催を目指していきたいですね。

2025年は1月に小牧山城、2月に美濃金山城、3月に岩村城と苗木城とすでに3か月連続での開催が決まっていて、4月の開催も準備が進んでいます。
いやあ今からめちゃくちゃ楽しみです。

また三原城と福山城は厳島での城たびの帰りに寄りました。ただ福山城は月曜日で休みだったので天守内の見学は次の機会へ持ち越しです。
遠方での城たびの場合は宿泊前提となるため、ついでに立ち寄るお城を探すのも楽しいですね。おそらく多くの団員は綿密で柔軟な攻城計画を立てていると思いますので、いずれはそのプランを公開・共有できるようにしたいなと考えています。

その他の訪問

ほかにも11月には「出張!お城EXPO in 坂井・丸岡城2024」や「越前若狭お城フェス2024」で福井へ出かけたので丸岡城、福井城、越前大野城の3城を訪問しました。
またブログにも書きましたが、JR西日本の「サイコロきっぷ」を利用して、一泊二日で岡山城と津山城を訪問してきました。

あとは島充さんが製作された復元模型の展示を見に尼崎城へ、ようやく本丸御殿の修理が終わって一般公開がはじまった二条城も公開2日目に訪問しています。
尼崎城は「ぼてさんぽ」用に撮影もしたのですが、セリフを準備するのが大変で公開できてません。「ぼてさんぽ」はもっと量産したいんですけどねえ。

振り返って思うのは、尼崎城の戸田家とか、越前大野城の土井家とか、意外と近世大名についてはお城との紐づけができてないことに気づきました。
江戸時代の藩主家についての理解が足りてないので、来年は藩のデータベースの整備も再開したいですね。

いちばん思い出深いお城は丸岡城

そんなこんなで2024年は14のお城を訪問したわけですが、あえてひとつを選ぶなら、5回目の訪問となった丸岡城です。

今回はDMOから依頼されたツアーガイドをつとめるために訪問したのですが、土地勘のないお城を案内するというのはなかなか大変でした。それでもどうにか大役をこなせたのはGoogleストリートビューが今回のルートのほぼすべてを網羅してくれていたので、自宅にいながらシミュレーションすることができました。これがなかったらやばかったですね。

ぼくが丸岡城のガイドをやることはたぶんもうないと思うので、準備として調べたけど当日も時間の都合で話せなかったことを中心に、少し書いておこうと思います。

まず柴田勝豊の話。
初代・丸岡城主として名前を聞いたことのある方もいるでしょうし、彼が柴⽥勝家の甥で養⼦となったことまでは知ってるかもしれません。ぼくもそこまでは知っていたのですが、最終的に勝家と縁を切り秀吉方についたことは知りませんでした。
どうも勝家に実子が生まれて後継者から外されたとか、同じ甥の立場であった佐久間盛政のほうが重用されていて不満だったとか、よくある(ゆえに創作の可能性もあります)仲違いのようですが、長浜城主だった勝豊はすぐ秀吉に降ったそうです。
ただ賤ヶ岳の戦いの直前に京都で亡くなっています。裏切ったとはいえ養父と戦わずにすんだことが幸せだったのか、とことんやり合いたかったのか。

賤ヶ岳の戦いの後、越前国は丹羽長秀の所領となり、長秀は丸岡城主として青山宗勝(修理亮)が任命されました。
丹羽家臣団は有能な人が多かったらしく、秀吉によって解体されますが宗勝も独立します。宗勝は秀吉と昵懇の仲だったとも言われ、黄母衣衆に選ばれ、九州征伐にも従軍しますが、けっきょく関ヶ原の戦いでは西軍についたため改易となりました。
丸岡城主というと柴田勝豊、そして一筆啓上の本多家が有名で、あとはせいぜい攻城団でもマンガで取り上げた有馬家くらいしか知られていませんが、この青山家のような人たちにの名前も知っておいてほしいなと思いました。

また丸岡城はいまでこそ小高い丘の上に立った平山城で周囲には住宅地が広がっているのですが、江戸時代はかなり大きな内堀がありました。
もっとも広いところでは堀幅がおよそ90mほどあり、これは松本城や名古屋城よりも幅が広いことになります。和歌山城で城たびを開催した際に70mある堀幅に驚きましたがそれ以上です。
江戸城で最も広い堀の幅は50間(約90m)らしいので丸岡城は堀幅だけなら江戸城と同レベルでした。いまは埋め立てられているのでイメージが沸かないと思いますが、これはけっこうすごいことですよね。

ガイドツアーのためにつくったマイマップがありますので、丸岡城を訪問される際はこれを参考に城下町を歩いてみてください。
こういうのもいずれ城メモでガイドのあんちょこといっしょに公開してもいいですね。

来年はぼくの本城でもある、二条城でひさしぶりにガイドツアーを開催したいと思ってます。あるいはうちに集合して、聚楽第の石碑めぐりのまち歩きなんて企画も希望者がいたらやってみてもいいかもしれません。
いずれにせよ春までは城たびの予定が埋まっているので、夏以降になりますけどね。

ともあれ来年もまたいろんなお城へ出かけて、年末にこうして振り返りたいなと思います。
今年のアドベントカレンダーは多くの団員が参加してくれて、とても盛り上がりました。この調子なら来年は25日すべてが埋まる、なんてことも夢じゃないかもしれません。
引き続き、団員ブログをお楽しみください!

   
この記事を書いた団員

こうの

攻城団のこうの団長です。

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