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こんにちは。朝田丸です。
先日、廣度院(こうどいん)練塀(ねりべい)保存委員会が開催する練塀勉強会に行ってまいりました。
お城に関係のある練塀もあるのでその内容と勉強会後自分で調べた内容も含めて共有させていただきます。
目次
はじめに
練塀を調べるきっかけは令和6年(2024年)12月に行われた城たびの黒田涼先生とめぐる江戸城ガイドツアーでした。
廣度院の副住職であるHeyさんが参加されており、廣度院や増上寺にある練塀が江戸城の練塀と同じ造りであることがわかり、江戸城を知りたくて城たびに参加したと事前ミーティングでお話されていました。
その後Heyさんからの練塀勉強会のお知らせを見て、これまでお城でも塀に注目してこなかったことや、地元の文化財を詳しく知るいい機会だと思い、練塀勉強会に参加しました。
三縁山廣度院増上寺(さんえんざん こうどいん ぞうじょうじ)
増上寺・廣度院について簡単に説明させていただきます。
東京都港区芝公園に位置する増上寺は、明徳4年(1393年)に創建されました。
浄土宗の七大本山の一つであり、徳川家の菩提寺として知られた由緒あるお寺です。
境内には、秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂、和宮の墓所があります。(見学可能)
Heyさんが副住職を務める廣度院はその増上寺の子院です。
増上寺の東にある三解脱門の前、日比谷通りを挟んで向かいに位置しています。
廣度院練塀保存委員会 練塀勉強会
練塀勉強会は廣度院練塀保存委員会主催で、増上寺会館椿の間で開催されました。
廣度院副住職のHeyさん、京都美術工芸大学の井上年和先生が練塀の話を、そして東京都港区三田にある江戸三十三観音霊場25番目の魚籃寺(ぎょらんじ)のご住職はお寺の由来や江戸時代の霊場巡りなどのお話をされました。
2時間半もありましたが、内容が充実しており、あっという間の勉強会でした。
その練塀勉強会の中から、攻城団のブログですので、お城に関係する練塀を中心にまとめていきます。
勉強会のスライド内容についてはHeyさんに相談し、公開情報もありますが個人で作ったものもあるためスライド写真の掲載はなしにしていますが、一部だけ写真に撮ったスライドから切り抜き加工した画像を使わせていただいています。
練塀とは?
練塀という言葉、Heyさんから聞くまで聞いたこともありませんでした。
……と思いきや、以前攻城団でたかまる。さんの記事「【お城の基礎講座】40.土塀(どべい)の種類」で練塀の説明を読んでいました。
まず土塀は骨組みの有無で分類がわかれ、骨組みのある土塀を塗塀、骨組みのない土塀を築地塀、練塀、それからWikipediaによると太鼓塀というのもあるようです。
勉強会のスライドの情報を基に、練塀の構造形式による分類を表にまとめました。
イラストは撮った勉強会のスライドから拝借しました。
斜めからの角度だったのとピンボケだったので色味や角度を調整させていただいています。
形状 | 形式 | 備考 |
---|---|---|
日干し煉瓦式 | 日干し煉瓦と瓦を積み重ねる。 | |
版築式 | 砂や石灰と粘土を混ぜ、てこなどで突き固めながら層を作っていく。 塀の中に瓦や石が入ってない。 築地塀はこの構造。 | |
塗り壁式 | 表面を漆喰で仕上げる。 外側から瓦などが入っていることが見えない。 | |
ヌリクルミ式 | 瓦塀の表面を土壁で仕上げる。外側から瓦などが入っていることが見えない。 | |
石清水式 | 瓦は壁面側のみで、内部は瓦を数段設置する事に土を積層する。 |
日本三大土塀(三大練塀)の兵庫・西宮神社の大練塀は版築式の練塀ですが、愛知・熱田神宮の信長塀は砕石と土、京都・三十三間堂の太閤塀は木骨土造、と必ずしも資材に瓦や石が使われているわけではなく構造形式もいろいろです。
さらには構造形式が同じでも地域や資材によって博多塀、瓦塀、石練塀と呼び方も変わります。
築地塀と練塀にはっきりとした違いはないようです。
しかし使われる言葉としては築地塀という方が今は一般的になったように思われます。
強いて言うなら築地塀は砂・石灰が混ざっていることもあるけど基本的に土の1種類を練り固めて層を造り、練塀は石とか瓦とか混ぜても混ざらないものと土を練り固めて層を造るといった感じでしょうか?
太鼓塀は塀の内部が空洞であることが特徴です。
続いて、練塀は今どのくらいあるのか。
廣度院練塀保存委員会がリーフレットにまとめてくださっています。
勉強会に使われたスライドにはこのリーフレットよりも少し多くの情報が載っており、さらに水戸城(茨城県)、 笠間城(茨城県)、古峯園(栃木県)にもあることがわかったと井上先生がおっしゃっていましたので、今後も増えていきそうです。
お城にある練塀
ここからはお城にある練塀をまとめていきます。(画像もあるので長いです)。
リーフレット掲載分と勉強会で出た練塀があるお城は以下の5城。
練塀は江戸時代には大名の邸宅や寺院に多く用いられたとのことで、それと比べたらお城での使用例は少なめ。
- 江戸城(練塀は現存せず)
- 水戸城
- 笠間城
- 名古屋城
- 岡山城(練塀は現存せず)
江戸城
江戸幕府の作事方(建設担当)である甲良(こうら)家が書き記した「塗師方壁方瓦方当時物并本途内訳(ぬしかた かべかた かわらかた とうじもの ならびに ほんと うちわけ)」という、土木建築に関する仕様や基本単価が載ったガイドラインのような「本途帳」と呼ばれる本があり、練塀についてのページに以下の記載があります。
この記載は西丸吹上の練塀を棟梁である大内氏が建造した際の仕様を書き留めたものであると考えられています。
西丸吹上煉塀之節相極 平内大隅一式
(意:江戸城の西丸吹上における煉塀の設置がこの時期に決定され、平内大隅守がその一連の作業を担当した)
そして廣度院では令和5年(2023年)の練塀の解体調査において、その構造が上記資料とほぼ一致していることが確認されました。
江戸城の練塀は現存していないため、廣度院の練塀は当時の資料に記載された練塀の内部構造を確認できる唯一の例として、さらに貴重な文化財となりました。
廣度院の練塀についてはリーフレットにその比較や、廣度院練塀保存委員会の公式サイト(https://neribei.com)には内部構造解説アニメーションなど詳しい情報がありますので是非ご覧ください。
また、同じく甲良家が編集した本「諸絵図」の練塀についてのページには「富士見并蛤岩岐」(富士見と蛤岩岐)の記載があり、そちらにも練塀があったこと、昭和の解体修理で瓦が出てきたという話もありました。
岡山城
勉強会のスライドにぼろぼろになって内部の瓦が覗く練塀とその遠くに岡山城 月見櫓らしき建物が写っている白黒写真の紹介がありました。残念ながらこちらも現存せず。
次からは現存・復元で今もお城で見られる練塀です。
ここから団員が撮った写真をお借りします。
キャプションの撮影者名をクリックすると写真の詳細ページに飛びます。
水戸城
大手門などの復元工事をしていて発見したそうです。門に付随する両側の塀が練塀。
遺構はこの写真のように大手門の壁にはめ込まれるような形で今も見ることができるようです。
練塀のクローズアップ。ずいぶんおしゃれな模様です。
水戸城大手門瓦塀の現地見学会の写真もありました。
茨城新聞動画ニュース
笠間城
東日本大震災以降、現在も立ち入り禁止となっていますが、さすが攻城団、震災前に撮られた写真がたくさんありました。
笠間城天守の瓦や廃材を使っていると伝わっているそうです。
名古屋城
石灰、赤土、種油を練り合わせて固める「南蛮たたき」という工法で作られているので、「南蛮練塀」。
二之丸御殿の北側の石垣の上にあります。
リーフレットの練塀一覧には載っていませんが、ブログ記事書くためにいろいろ調べていて練塀がある(練塀と思われる土塀がある)お城をいくつか見つけました。
- 姫路城
- 備中松山城
- 府内城
- 和歌山城
姫路城
にの門への道の土塀や将軍坂の土塀が練塀らしいですが構造についての詳細は見つからず、見た目からも練塀か判別つかず。
練塀であったとしたらヌリクルミ式か塗り壁式? 太鼓塀もあるらしいです。
備中松山城
三の平櫓東土塀は日干し煉瓦のような土の塊を積み上げた構造だそうです。
府内城
日干し煉瓦のような土の塊が積み上げられた土塀は府内城にも。
令和5年(2023年)の豪雨による土塀崩壊の復旧工事で発見されたそうです。
和歌山城
岡口門近くの土塀も府内城、備中松山城と同様の日干し煉瓦積みだそうです。
金沢城
石川門の左右の塀と三の丸の鶴の丸土塀が太鼓塀と呼ばれる土塀です。
塀の外側は土、塀内部は空洞である程度の高さまで石が敷き詰められています。
骨組みのない土塀ではあるけど練塀や築地塀とはかなり違った構造です。
下の方に石が積み重なり、上の方は向こう側の景色が見えるのがわかります。
金沢城公園公式ページの塀の説明の中に太鼓塀という言葉が出てきています。
津山城
津山城土塀の修理に関することが書かれた江戸時代の「勘定奉行日記」に二重塀という語があったので、二重の塀(太鼓塀)で復元したとのこと。
きゃみさんさんの写真に五番門南石垣土塀の復元に関する案内板の文字起こしがあります。
仙台城
Heyさんから仙台城にも練塀があったという情報を見たと聞きました。
検索してみると、それが仙台城で江戸時代から残る唯一の現存遺構の大手門北側土塀であることがわかりました。
令和3年2月と令和4年3月の地震で仙台城は大きな被害があり、土塀の漆喰が剥がれてしまったそうです。
仙台城災害復旧クラウドファンディングの活動報告ページに土塀内に瓦があることがわかる写真があります。
大手門跡北側土塀の工事が始まりました! 仙台城石垣災害復旧|伊達政宗公の築いた仙台城を未来へ繋ぐ。(仙台市教育委員会文化財課 2023/11/07 投稿)
土塀の中は、どうなっているのでしょうか? 仙台城石垣災害復旧|伊達政宗公の築いた仙台城を未来へ繋ぐ。(仙台市教育委員会文化財課 2023/11/08 投稿)
お城にある練塀は以上です。
浮世絵で見る練塀
本章ではHeyさんが紹介されていた練塀が描かれた浮世絵をご紹介します。
江戸時代はたくさん練塀の武家屋敷があったそうで、東京都千代田区には神田練塀町という名前の町があります。
当時は下谷練塀小路と呼ばれていて、練塀町という名称は明治時代からだそうです。
紹介されていた浮世絵はたくさんあったのですが、転載可能な国立国会図書館のサイトにあった浮世絵を4つ。
白色または黄色で横線が入っている塀が練塀です。
お城関係ではないが気になる沖縄の瓦塀
リーフレットの練塀一覧にあった沖縄のやちむん通りと琉球村の瓦塀。
お城や寺社、民家ですら本土と異なる文化を持つ沖縄の瓦塀も気になったので調べてみました。
史跡ではなさそうです。
やちむん通り
焼き物屋が並ぶ那覇市壺屋にある通りで、新垣陶苑という窯元直売店の裏の塀がそれっぽいです。
琉球赤瓦ですが本土の瓦塀と同じ感じです。
琉球村
琉球村は恩納村にある琉球王国時代の生活を再現したテーマパークです。
やちむん通りの瓦塀に比べて、もろに瓦を積んだだけ。
台風で飛びそう……と思ったら、雨水が染み込むと重くなって台風でも安心なのだそうです。(本当に!?)
最後に
ここまでお読みいただきありがとうございました。
まとめているうちにどんどん気になるところや新しい発見が出てこんな長さになってしまいました。
もし「◯◯に練塀がある」「これ多分練塀かな?」など思い当たることがありましたらルーム「団員ブログ(感想コメント)」で情報をお寄せいただけると幸いです。
Heyさんにも情報共有します。
本稿は下記の皆様のお写真をお借りしました。ありがとうございました。
★Special Thanks★
ACCAい彗星さん、Kutsunaさん、n1951さん、syama1957さん、tamoさん、いへやすさん、きゃみさんさん、黒まめさん、たかまる。さん、団長こうのさん、ハーツクライさん、む~さん、わっしょいさん、河内守泰吉さん、那須与一さん
お城にある練塀一覧
城 | 都道府県 | 練塀の所在 | 備考 |
---|---|---|---|
仙台城 | 宮城 | 大手門北側 | 城内唯一の現存遺構。 |
江戸城 | 東京 | 二の丸北面 | 現存せず。資料に記載のみ。 ヌリクルミ式。 |
水戸城 | 茨城 | 大手門 | 日本最大規模の瓦塀。 |
笠間城 | 茨城 | 天守曲輪 | 佐志能神社の土塀。 笠間城の天守の瓦で作られていると伝わる。 |
金沢城 | 石川 | 石川門の両側 鶴の丸北面 | 太鼓塀。 石川門は現存唯一の太鼓塀。 |
名古屋城 | 愛知 | 二の丸北面 | 南蛮練塀という特殊な形式で名古屋城だけ。 |
姫路城 | 兵庫 | にの門付随 将軍坂 | ヌリクルミ式か塗り壁式か。 太鼓塀もあるらしい。 |
和歌山城 | 和歌山 | 岡口門北側 | 日干し煉瓦式。 |
岡山城 | 岡山 | 城内旧池田候邸 | 現存せず。写真のみ。 ヌリクルミ式。 |
津山城 | 岡山 | 五番門南 | 太鼓塀。 |
備中松山城 | 岡山 | 三の平櫓東 | 日干し煉瓦式。 |
府内城 | 大分 | 西之丸西側 | 日干し煉瓦式。 |
余談
令和6年(2024年)大晦日にも練塀内部構造公開されていたので観に行って、Heyさんにもお会いしてきました。
廣度院の練塀は令和7年(2025年)に修復作業に入るので、もうしばらくすると内部構造が見られなくなります。
廣度院の練塀が描かれたポストカードをいただいたので、ほぼ同じ角度から現在の風景を撮りました。