団員ブログ by 攻城団 攻城団団員による団員のためのブログ

鹿児島県攻城記録(2)〜知覧城、鹿児島市内の城〜

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思い立ったら吉日! こんにちは、toproadです。

2025年5月4日に引き続いて鹿児島遠征として、5月5日に喜入の宿から知覧城、鹿児島市内の城を攻めましたので、そのことを書いていきます。

知覧城

知覧城も志布志城と同じような高い曲輪の下に堀底道が通っている構造になります。

知覧城駐車場にある案内板

曲輪の数が志布志城より少ないので、よりコンパクトな城域となります。

曲輪の位置がわかりやすい写真模式図

まずは今城(いまんじょう)を登ります。

入口に馬出のような形状の土塁もあり、テクニカルな印象。

馬出のような構造の土塁

土塁の高さも高め。

今城

続いて弓場城(ゆんばじょう)へ。

草が伸びていますが、秋冬ならここまでではないのかもしれません。

(ブレブレの写真しか撮れなかったので弓場城の写真はありません)

蔵之城(くらんじょう)への虎口。

極端に巻いているわけではありません。

蔵之城への道

蔵之城には建物が建っていたらしく、礎石がありました。

案内板も立っていました。

蔵之城にある案内板

本丸へ向かいます。

虎口の案内板が立っています。

本丸への道

本丸に入ってすぐに城跡碑が立っています。

知覧城の城跡碑

広い空間の端に土塁があります。

発掘調査した部分が掘られていました。

本丸の土塁

シラスの岩盤がむき出しになっていて、削れている場所もありました。

雨がたくさん降ったら流れてしまうくらいの地盤なので、今の姿のままを見られるのも長くないのかもしれません。

削れた岩盤

武家屋敷

少し車で移動して、知覧麓の武家屋敷を散策しました。

武家屋敷の案内板

通りの両サイドに武家屋敷が並んでいます。

両サイドに武家屋敷

武家屋敷それぞれが戦うための造りになっていて、生け垣を取ってみても二重になっていて簡単に乗り越えられないようになっています。

戦うための工夫

入口も桝形のような造りになっています。

壁だけのバージョンと、壁の上に生け垣のバージョンがありました。

壁のみのバージョン

最後に亀甲城を攻めましたが、道中に草だらけのところがあって撤退しました。

亀甲城の案内板

天文館の吾愛人(わかな)で鹿児島名物を堪能

昼ごはんは天文館にある吾愛人(わかな)で西郷膳を食べました。

かつおのたたき、地鶏の刺身、きびなごの刺身、写真には写っていないけど六白黒豚しゃぶ鍋、きびなごの天ぷら、さつま揚げ、さつま汁。

かつおのたたき、地鶏の刺身、きびなごの刺身

六白黒豚のとんこつ(みそおでん)がおいしかった。骨付きの豚肉だったので「とんこつ」なんでしょうか。

ごちそうさまでした。

六白黒豚のとんこつ

せっかく鹿児島に来たからと、デザートで天文館むじゃきのテイクアウトのハンディしろくまを食べました。

店内は常に並んでいますが、テイクアウトならそんなに並ばずに食べれました。

ハンディしろくま

島津氏の居城を攻城

まずは昨日は攻城する時間がなかった上山城を攻城しました。

「城山」と呼ばれている鹿児島城の詰めの城で、西郷隆盛さんが西南戦争で陣取ったところでもあります。

上山城にある石碑

城山から街中へ降りていく方向にある、西郷隆盛さんが最後の5日間を過ごした洞窟に寄ります。

西郷隆盛洞窟

西郷隆盛さん終焉の地にも行きました。

西郷隆盛終焉の地

その後、『信長の野望』ファンなら島津氏の居城と認識されているであろう内城、その前の居城清水山城を攻城。

清水山城の案内板

島津氏最初の居城、東福寺城を攻城後、仙巌園へ向かいましたが残念ながら入館時間を5分過ぎていて入れませんでした。

ネコを飼っていないけどネコ派の僕は猫神社で手を合わせたかった。

仙巌園の入口

オマケの大隅国攻城

今回の攻城記録をつけている時に日向国の志布志城や薩摩国の城は攻めたけれど、大隅国の城を攻めていないことに気づきました。

仙巌園に入れなかったことで時間も少しあったので、空港へ戻る途中に富隈城を攻城しました。

これで大隅国も攻城済みになりました。

20時40分発の飛行機でセントレアに22時着、家に帰ったら午前1時になっていました。

富隈城の城跡碑

まとめ

薩摩の城は一国一城令以降も「外城(とじょう)」という形で各地に麓(ふもと)が残って破城されなかったようですが、壊せる石垣がない上に高低差のある曲輪と空堀という地形なので、破城できなかったのでは? と感じました。

武士の人数が他の地域より多かったので鹿児島城の城下に武士を集住させることができなかったという事情もあるようですが。

その地方に独特の造りの城を見ること、そこから何かを感じることが日本の各地に遠征して城を攻めることの楽しさだと改めて感じました。

これからも遠征した時はブログを書いていくので、団員のみなさんの遠征の参考になれば幸いです。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。今回は以上です。

   
この記事を書いた団員

toproadさん

愛知県小牧市在住の団員です。 鳳来町(今は新城市)の長篠城近くの生まれ、名古屋市育ち。 話す言葉は名古屋弁です。

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