団員ブログ by 攻城団 攻城団団員による団員のためのブログ

GW攻城記録3(鳥取城)

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こんにちは、はらぽんです。

GW(5/3~6)は鳥取県で攻城していました。

5/5に攻城したのが、日本100名城のひとつ、鳥取市にある鳥取城です。

準備

事前に、鳥取市のサイトからPDFファイルで提供されている「鳥取城跡」のパンフレットをダウンロードしました(紙の冊子は城跡ほかいくつかの場所で配布されています)。

このパンフレットはお城の歴史や歴代城主、年表などの情報から、山下ノ丸・山上ノ丸の各縄張り図と見所の紹介、さらに秀吉が鳥取城攻めの際に築いた本陣「太閤ヶ平(たいこうがなる)」の縄張り図、そして太閤ヶ平を含めた広域ルートマップまでもが掲載されており、鳥取城を攻城する際の必須アイテムです。

太閤ヶ平

まずは、太閤ヶ平へ向かいました。

ルートはいくつかあるのですが、樗谿公園(おうちだにこうえん)の前を通る道を選びました。
樗谿公園の近くには鳥取駅発100円循環バスのバス停がありますが、土日祝日は早い時間帯が運休のため、駅近くのホテルからここまで歩いて、30分以上かかりました。時刻は8時37分。

このルートを選んだのは、慶安3年(1650年)に初代鳥取藩主・池田光仲公が建立した鳥取東照宮に参拝したかったからです。灯籠や手水鉢にも「慶安三年」と刻まれており、たいへん感動しました。

手水鉢の右側にある道を進みます。

熊出没注意。リュックには、熊鈴を付けています。

ここからは、太閤ヶ平まで舗装された道が続き、歩きやすくなっています。

休憩をはさみながら歩くこと約1時間、眼前に内郭の遺構が現れます。時刻は10時11分。

舗装道と平行に延びる堀。これは……すごいぞ!

説明板のあるこちらが、搦手虎口です。

こちらが大手虎口。堀が深く、両脇の土塁も立派です。

大手虎口の東にある、窪地状の突出部です。

太閤ヶ平は、一時的な陣城とは思えないほど縄張りがしっかりしており、遺構の残りも良く、驚きと感動の連続でした。

鳥取城

太閤ヶ平を存分に堪能し、鳥取城へ向かいます。時刻は10時59分。

ルート解説(太閤ヶ平~山上ノ丸)

ルートの入口が分からず、しばらくうろうろしてしまったのですが、5つ前の写真にある案内の背後に「久松山(きゅうしょうざん:鳥取城山上ノ丸のある山)2.3km」とありました。ここか!

この先は、完全に山道です。

ルートに入って2分ほどで、ルートマップには無い分岐に差し掛かります。ここは、左へ。

以降は、ルートマップに示された分岐の場所に案内があり、迷うことはありません。

途中、ものすごい規模の二重竪堀があります。太閤ヶ平の鳥取城側に築かれた、巨大な防衛ラインです。

ルート入口から歩くこと30分弱、案内があるポイントで唯一戸惑ったのがここです。写真奥の案内に注目。

この久松山の案内は「右方向へ進め」ではなく、「案内の背後に見える上りの道を進め」が正解です。もっとも、右方向には道らしき道は無いんですけどね。

山上ノ丸

時刻は11時54分。いいかげん疲労も蓄積してきた頃……。

うわー!立派な石垣だー!

石垣を見つけ、疲労が吹っ飛びます。

このあたりは十神砦(とがみとりで)の城門跡で、巨石を積んだ石垣が残っています。

山上ノ丸の東側にある十神砦です。突端には、巨岩がそびえています。

1969~1975年の短期間運行していた久松ロープウェイの駅舎跡です。ロープウェイ部分は閉鎖され、休憩所となっています。ここも山上ノ丸の曲輪のひとつと考えられます。

このルート一番の見所、東坂の上城門です。右側の三ノ丸斜面に、登石垣(のぼりいしがき)が築かれています。

これは見事……!

本丸と二ノ丸の間にある石段です。左側の本丸には、天守台があります。

天守台からの絶景です。正面奥には、鳥取砂丘が見えています。

山上ノ丸からは、中ノ御門がよく見えました。

山下ノ丸へ

時刻は13時4分。本丸と二ノ丸の間にある石段に続く道から、下山します。

「△合目」の看板が立っているので、良い目安になります。このように、石垣が見られるポイントもいくつかあります。

時刻は13時36分、山下ノ丸の石垣が見えてきました。
正面奥が、天球丸(てんきゅうまる)という名前の曲輪です。関ヶ原合戦後に鳥取城に入った池田長吉公の姉・天球院の居館があったとされています。

写真中央、前回(2019年6月2日)攻城時には立入禁止だった天球丸への虎口に細い道が通され、通行可能になっていました。整備が着実に進行しているのを感じます。

鳥取城といえばこちら。崩落防止に築かれた全国唯一の球面石垣、復元された天球丸の巻石垣です。

山下ノ丸にも登石垣があります。二ノ丸北端にあり、幕末のものとしては全国唯一だそうです。

中ノ御門

時刻は15時42分。ついにたどり着きました。

GWに鳥取県で攻城した最大の理由が、こちらを見るためです。

2025年3月に竣工し、4月26日に開門式が行われたばかりの「中ノ御門渡櫓門」です。見事に復元された真新しい櫓門は漆喰の白がまぶしく、屋根瓦には池田氏の家紋「揚羽蝶」が見えます。

再構築された中ノ御門の枡形には鏡石もしっかり配置され、江戸期から残る石垣だと聞かされても違和感がないほどの完成度です。

渡櫓門に先んじて2021年に復元された「中ノ御門表門」です。
門の屋根と塀が同じ高さなのが特徴で、屋根瓦には葵の御紋が見えます。池田光仲公の曾祖父は徳川家康公なので、葵紋の瓦を使用することが許されたそうです。

おわりに

山下ノ丸と、山上ノ丸のある久松山です。大手登城路の復元整備が進み、往時の姿が蘇りつつあります。

長時間にわたる攻城でしたが。非常に見所が多く、疲労よりも満足感が勝りました。

それでは。

   
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