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2024年に攻城して良かったお城・priusイワ探訪〜鶏足城は戦国の夢を見るのか〜

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どうもpriusイワです。

今回は攻城団アドベントカレンダーへ参加すると言うことで、ブログ記事を書いてみました。
至らぬところも御座いますが以下本文、お付き合いくださいませませ。

目次

自己紹介

皆様、お世話になります。 
priusイワ(ぷりうすいわ)と申します。 
攻城団に入り今年の11月で4年目となります。

最近はオンライン評定や城たびも参加させて頂き、私をご認識頂いてる団員の方もおられるようで感謝の気持ちでいっぱいです。変なやつですが、これからも温かい目で見て下さいね。

お城めぐりはもちろん大好きで、並ぶ趣味だと野球と競馬です。野球はセ・リーグの阪神タイガースの大ファン、競馬はお馬さんが好きなので小学生ぐらいから観てました。

では、このぐらいで本題へ行きましょう。

2024年に攻城して良かったお城

2024年は沢山のお城を回れました(まだ回るつもりですが)。

その中で良かったお城を決めるのは難しいですよね。カテゴリー毎に選べればいいのかなと思いますので、今回は山城について書きます。

テーマに選んだお城は2024年1月に訪問した「鶏足城(けっそくじょう)跡」になります。

本題 鶏足城跡について

鶏足城は戦国時代の山城で、築城年代、城主などは不明とされています。
戦国期の足助七城には数えられていないので、真弓山城(現・足助城)の支城と考えられ、南東約1.5kmにある浅谷城(あざかいじょう)と共に、真弓山城の南の固めの役割を果たしていたと思われるそうです。

このお城に興味を持ったのは、鶏足城が攻城団未登録だった頃に「日本最大の城郭DB構築プロジェクト」へ入力してこうの団長に登録してもらうと思い、書籍やネットなどで情報を下調べした際でした。

感想としては全くメジャーでもなく、各地の山城と比べても規模も小さい、まさに「無名」。
でも他の足助地域のお城と比べて、詳しい事が全く分からないところにロマンあるお城だなぁと何か心に触れるものがありました。

そして現地調査の為、実際に攻城へ向かいましす。
このお城の難点はアクセスがしにくい場所にある事で、車の止める場所も現地になく苦労しました……。 

鶏足城 登城口

登城口へ辿り着き、ここから城址へ向かいます。
私が攻城する前はこの登城口が整備されておらず、個人様の畑の畦道を渡って登城口へ向かう道だったそうです。

鶏足城 第1防獣柵

少し進むと防獣柵に辿り着きました、ここは開けて進みます。

なんだかトトロの世界みたいです。

鶏足城 第2防獣柵

第2の防獣柵です、案内板も左へ←と出ておりますので開けて進みます。

注意書きもあります、柵を通った後は元に戻しておきましょうね! 

お、あと少しのようです!

鶏足城 A郭

城址に着きました!!
これは下調べした際に見たA郭だと思われます。

祠様が鎮座されておりますので、手を合わせて城域に入る事を説明しました。
何故かは分かりませんがなんとなく。

もう1基、いらっしゃりました。いつの時代のものなのでしょうか。

鶏足城 堀切

A郭の終わりは堀切と思われる尾根の立ち切りがあります。
年月が経っているからか思ったより浅いです。

鶏足城 堀切(側面から)

堀切です。浅く広いです。

鶏足城 腰曲輪&主郭切岸

堀切を越えると腰曲輪がありました。
その奥の高まりは本曲輪への切岸です。

鶏足城 Ⅲ郭

A郭から繋がっていた腰曲輪はⅢ郭のようです。

鶏足城 横堀

下調べした縄張り図に記載のあった腰曲輪Ⅲ郭とⅡ郭を分けている横堀もありました。
写真中央の土の黒っぽい部分ですね。

鶏足城 横堀(上から撮影)

こちらの堀も浅くなっていて、往時はどれぐらいの深さだったのか気になりますね。

腰曲輪はある程度見たので、いよいよ切岸を登ります。
一応、切岸を登れるように木の階段がありましたが、木の葉に埋まり過ぎて登り辛い感じでした。

鶏足城 本曲輪(Ⅰ郭)

切岸を登ると本曲輪(Ⅰ郭)へ到着しました。なかなか広めなスペースです。

鶏足城の由来 案内板

鶏足城の由来についての看板です。
ふむふむ、本曲輪の広さは約420㎡とのこと。25㎡のワンルームなら18部屋分、低層アパートなら6〜9部屋ほどなので約二棟分になりますねー!

眺望を説明する看板です。苔むしてますがかろうじて読めます。

鶏足城 本曲輪からの眺望(足助方面)

本曲輪からは足助城や足助の街並みが一望に見え、戦時には足助東部や下山などに情報を伝える重要な中継点の役割を果たしたと思われると伝わります。
木々の間から足助の山々や建物が見えます。いい眺めですね^_^

鶏足城 本曲輪の巨石

本曲輪の西側には大きい岩がごろついていました。奥三河の山城あるあるですね。

本曲輪を降りて西側へ回り込みましたが切岸が高く、西の堀切へは行けませんでした。
写真中央の尾根の窪みが堀切のようです。西の堀切の奥はⅣ郭があるとのこと。またいつか辿り着くぞ! 

そして1時間ぐらい散策し、元の道を戻り登城口へ戻りました。
動物などにも遭遇せず無事に戻れて良かったー。


まとめ

結論としては現地にいっても歴史的な事は私には何も分かりませんでした!! 

でも城址にはしっかりと遺構や痕跡はありますし、お城なんだと感じます。

私は真弓山城や足助地域、浅谷城の間にある立地面から支城ではあるけど、浅谷城方面に敵が攻めてきた時に狼煙などを上げて知らせる地点として重要なお城だったのかもと思います。
城域も比較的狭かったですし、砦みたいな感じなのですかね!? 

浅谷城(下)、鶏足城(中央)、足助城(上)の位置関係(国土地理院地図を元に赤線部分を手書き)

浅谷城が攻められ、狼煙が上がっても足助城からは山があり見えない立地の為、その間に鶏足城があったんですね。
浅谷城が落ちても鶏足城があれば、足助城を守れる配置にもなってますね。

今回思ったのは、下記の通りです。 

  1. フィールドワークではないけど現地の散策をしないと分からない事もあるよね!
  2. 現地には書籍やネットでは感じれないお城の空気感や土の匂いなどがあるよね!

お城玄人の方には「何を今さら」だと思いますが、私は現地に行くたびに学びや発見があり楽しい事ばかりです。


終わりに〜あとがき〜

今回は鶏足城の事を書きました。
こんな感じの文面ですが、少しでも参考になってくだされば幸いです。行きにくい山城ですが、足助方面へ攻城の方の選択肢になれば嬉しいです。

そんな感じで2025年も1月から城たびにも参加したり、遠征したりして、元気にお城を散策出来ればと思います。

ちなみにですがこのブログの公開日は競馬のビックレース「有馬記念」の開催日です。
このブログを書きながらレース予想に頭を悩ましています。なんとか有馬記念を当てて、この一年間を締めくくりたい気持ちです。
また有馬記念は久留米藩の大名・有馬家と関係があるレースなので、またブログでそんな事を書ければいいのかなぁと思いますー。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました、でゅわーー!! 

   
この記事を書いた団員

priusイワさん

東海地方を中心に攻城をしているウサギ。刷り込み教育のおかげで、徳川家康の母・於大の方推しになる。阪神タイガースの大ファン。 競馬、競走馬も大好きで、特に好きな競走馬はダイタクヘリオス、スクリーンヒーロー、エフフォーリア、ハヤヤッコ。

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