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小田原城と総構を巡ってきました。

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こんにちは☺️団員のぐこです。

週末に小田原城と総構を巡ってきました。

普段は東海地方のお城をチマチマと攻城していて、関東のお城はほとんど攻めてないので、多くの団員さんのほうが絶対お詳しいと思うのですが、楽しんで回ってきたので体験談という感じで書きたいと思います。

総構とは中国や西洋のお城のように、町までお城の範囲として堀や土塁で囲んだ城郭で、大城郭とも呼ぶそうです。

私は兵庫県の伊丹市出身で、団員になってから伊丹城の総構を2回ほど回りました。荒木村重によって大改修された伊丹城の総構は、河岸段丘を利用した南北に長い長方形で、全長約3キロほどかな、という感じです。高低差が残っていたり、土塁も一部残っています。

総構のお陰か、織田軍は一年にわたり有岡城を攻めあぐね、しかし内通により一つの砦が開かれて落城しました(総構、すごいな!)

さて、1590年小田原を本拠地とし関東を支配している北条氏に、天下統一を目前にした豊臣秀吉が対峙します。
総勢22万の大軍を有する秀吉に対して北条氏は5万という圧倒的に不利な戦ですが、総構や支城を強化して抵抗します。


小田原城の総構は北側は丘陵地、東は渋取川周辺の湿地帯、南は相模湾を天然の要害として利用つつ、全長9kmも構築されました。そして、22万の兵力を有した秀吉でさえ容易に攻め入ることができませんでした。
秀吉は心理戦として石垣山に一夜城を築く事により北条氏を降伏させるに至ります。

しかし、この総構に手こずった秀吉をはじめ、 参陣した武将は後に自分の居城にも総構を築きました。大阪城や御土居など、その後の城の在り方や都市構造にも大きく影響を与えたとされます。

小田原城ホームページ内の(小田原城総構を歩こう)が詳しく、ダウンロードできます。私も行く前にプリントアウトしてから行き、大変参考になりました。↓

案内板や道標も多く、迷うことはありませんでした。

午前中にJRより北側の丘陵地(城下張出、山ノ神堀切、稲荷森、小峰御鐘ノ台大堀切、三ノ丸新堀土塁、八幡山古郭東曲輪)を周りました。それから城址公園に行って天守に登り、午後はJRより南側の(早川口遺構、相模湾沿い、蓮上院土塁)を巡ってきました。

小田原駅西口の早雲像に挨拶して、県道74号線を北上し、まず城下張出へ行きます。ここは総構外の(メダカの学校)から張出を仰ぎ見つつ攻め登る感じで行くとわかりやすいです。張出の東側の堀が竪堀のように落ちているのがかっこいいです。↓

そこからは総構ライン近くを離れないように反時計回りに進んで行きました。

総構外を見渡すと秀吉軍が布陣している丘陵が広がっています。↓

山ノ神大堀切が現れました。堀切の向こうには高低差を持って総構の堀が連結しています。↓

次に現れる稲荷森は小峯御鐘ノ台大堀切の西堀から続く場所に築かれた堀と土塁の跡です。総構の堀が地形に沿ってカーブしている様子がわかります。
内側には、わずかに土塁の痕跡が残り、外側にも土塁の痕跡が確認できます。
堀の深さは約10m程あって、降りることはできませんが、降りれたとしても登るのに苦労しそうです。竹林になっていて雰囲気がありとてもステキです。↓

稲荷森から少し歩くと小峰御鐘ノ台大堀切が現れます。大堀切は東堀・中堀・西堀の3本で構成されていますが、当時の様子が最もよく残っているのが東堀だそうです。
堀の深さは10~15m。堀の角度は50~60度という急勾配で、全国的にも最大規模の空堀なんだそうです。横矢掛も設けられています。↓

東堀はもともと三ノ丸外郭であったそうですが、西から攻め入る秀吉軍に備えて、中堀、西堀もプラスで作られました。西堀は、堀は深く圧巻ですし、付近には兵を駐屯させるようなエリアがあります。

さらに北西に進むと総構最西端の水之尾口櫓台跡。豊臣軍が見渡せてすぎて怖いくらいですが、星形要塞のように死角がないと思うし、戦闘的だなあ、と感じます。

小峰御鐘ノ台から降ると公園化されて見学もしやすい三ノ丸新堀土塁があります。ここは総構が作られる前は外郭で、一部が総構と重なります。ここからは石垣山城や相模湾などがよく見渡せます。↓

小田原城の総構の堀は畝で区切られる障子堀が構築されているそうで、言われてみたらなんとなく形が残っている箇所がありました。
畝を形成することにより堀に落ちた敵兵の身動きを奪い守り手側は敵を射易くなります。
また、関東ローム層の赤土は滑りやすく、一度落ちたら這い上がるのはムリっぽいです。実際、山ノ神堀切などの掘底を歩くとツルツルしているし、小峰御鐘ノ台大堀切東堀から中堀の連結部分を覗こうと登ったら滑ってしまい(こういうことなんやな)と身をもって実感できました。

またお昼からは天守のある小田原城址公園を回りました。中世城郭跡だけじゃなく、近世城郭跡も楽しめるのがいいですね、小田原城。

天守の中は涼しいし、午前暑かった分、ゆっくり展示を見学しました☺️

現在の小田原城は1632年に城主となった稲葉正勝と、子の正則によって改修された姿が元になっているそうです。

しかしその後、1703年の元禄地震で天守、本丸御殿をはじめ建造物はほぼ倒壊・焼失し、石垣や土塁も崩落。

天守は1706年に修復されましたが、1870年に廃城となると解体され、天守台をはじめ本丸や二の丸の石垣も、関東大震災で崩落してしまいました。波瀾万丈ですね。

JRより南側の総構遺構は消失も多いそうですが、所々に土塁などが残っていました。

蓮上院土塁には太平洋戦争時の爆弾で凹んでいる箇所があり、総構+戦争遺構も見れました。↓

ザックリですがぐるっと巡ってみて、秀吉サンも(力攻めやめとこか)と思えたのも、頷けました。大軍でも、被害が多そうです💦

それにしても、総構の遺構、夏なのにきちんと整備されて見やすかったのもとても嬉しかったです。

小田原城の総構遺構の中で皆さんへ特におすすめしたいエリアは、山ノ神堀切から三ノ丸新堀土塁です。途中から砂利道になるので駅から徒歩がベストかな?と思います。

三ノ丸新堀土塁は公園になっていて、レンタサイクルを置いたり、時間が限られていますが無料の駐車場もありましたので、そこから時計回りに見学をスタートするのも良いと思いました。

最後にカフェでカワイイ(北条カプチーノ)を頼みました。まさかのホットだったのでまた汗をかきましたが、美味しかったです💦

もう少し涼しい時期にみなさんもぜひ回って総構を感じてください。

初めてブログ機能を使わせてもらったので、読みにくかったり、わかりづらい点が多いと思いますが、最後までお読みいただき、ありがとうございました😊

   
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