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皆さん、こんにちは。団員のワタナベです。
かなり時間が経ってしまいましたが、今回は11月に実施された城たび〈団長と行く、小田原城総構えウォーキングツアー〉に参加した際のレポートとなります。
これから小田原城を訪れる方に、天守付近以外にも素晴らしい見どころがあると伝われば幸いです。
城内で集合⇒すぐに城外へ

集合場所は二の丸内の観光案内所でした。受付後、地図を受け取ってルートを確認します。

立派な城門を背景に、皆で集合写真を撮ります。
この時の写真は団長のブログ記事をご覧ください。立派な城門と石垣ですが、今回の見どころはここではないんですねぇ。

ここからは二班に分かれて説明を受けました。私の班は、ガイドの関森さんに解説をしていただきました。

スタート前に小田原城の立地の説明がありました。
小田原城は現在の平城のイメージが強いですが、北条氏の頃は山の尾根の先端部分にあり、3つに分かれた山の尾根と谷間の地形を利用して、防御を固めていたようです。

いよいよスタート! の前に、皆で自己紹介です。
どこから来たか、総構えは歩いたことがあるのか等の話が出ましたが、関東以外からも多くの方が参加されていました。

改めて出発です!
小田原城の城たびではありますが、あっという間に城内からは脱出します。奥の方に三の丸の土塁が残っているという話を聞きながら、北の方へ向かいます。

今まで平坦だった道が徐々に上り坂へ。
住宅地となっている地区ですが、高台と斜面の境に沿って土塁が続いていたという説明を聞きながら、総構えの痕跡を求めて進みます。

住宅地の中にいきなり草に覆われた土塁が出現!
見学できるように整備されているので、土塁に沿って進みます。

まっすぐ残る土塁はこれだけでも迫力がありますが、本来は土塁の下に堀が掘られていて、高低差は9mほどあったとのこと。
攻める側からすれば絶望的な高低差で、これが総構えの防御力かと思っていたのですが……。

地図で現在地を確認。
先ほどの土塁は「新堀」という総構えができる前の外周部で、総構えはさらに外側に作られたそうです。つまりあんな土塁がさらにもう一つ……そりゃ堅城と言われる訳ですね。

土塁から離れて、天守がよく見えるポイントへ。
我々が登ってきた尾根と、小田原城本丸がある尾根とは谷を挟んで別の尾根だということが、ここではよく分かりました。

再び外周部へ向かいます。ちょうど紅葉がキレイな時期でした。

しばらく進むと、ゆるやかな上り坂の道に着きました。
この道の左側から急な崖地形になっていて、この崖に沿って総構えが作られていたそうです。つまり、総構えのルートが後世にそのまま道路になっている訳で、ここからは総構え沿いに進みます。

総構えから見える景色がこちら。
あの辺りに豊臣方の陣があった、という説明を聞きながら進みます。この眼下の平地や海上に豊臣軍がびっしりいたかと思うと、北条方としてはイヤですよね~。

上り坂の先には駐車場がありました。
この後の土塁や大堀切のみを堪能されたい場合は、ここまで車で来るのが手っ取り早そうですね。

改めて位置を確認中。
この付近は元々の外周部である「新堀」と、豊臣軍の来襲に備えて整備した「総構え」が合流する場所のようです。……先にあった方が「新堀」ってややこしいですね。

ここまでのルートは、だいたいこんな感じ。
総構え全体からすると大したことのない距離に見えますが、既に1時間が経過していました。上り坂ばかりだったため、足に疲労も溜まってきました。

という訳で休憩です。新堀の土塁に沿って綺麗に整備されています。
この日は暑くもなく寒くもなく、ウォーキングには丁度良い気候でした。

我々はゆっくり休憩できましたが、目の前の石垣山(当時は笠懸山)に秀吉の本陣があり、常に大軍が見えていたかと思うと凄いプレッシャーですね。
最大の見せ場・大堀切へ

ここから先は、小田原城総構えの中でも最大級の遺構である「小峯御鐘ノ台大堀切」に突入します。
小田原城は細長い尾根の先端にあった城のため、麓からは高い位置にありますが、より高い山の方から攻め込むことができてしまいます。それを防ぐために空堀を掘っているのですが……。

それがこの規模の堀になります。
どこの城でもそうなのですが、人の身長の何倍もある堀を人力で掘っているということには、毎回圧倒されます。

しかもここ、結構長いんですよ。
一番大事な本丸周辺の堀が深いことはよくありますが、もっとも端っこの堀がここまでの規模というのは、北条家の力をありありと感じますね。

堀切から脱出すると、こちらも地元の偉人である北原白秋の童謡についての解説がありました。
ここまで戦いのための土塁や堀切の話を聞いてきましたが、童謡の話でちょっと和みました。

先ほどまでは大堀切「東堀」にいたのですが、次は大堀切「西堀」に突入します。

こちらも深く広い、大迫力の堀切です!
枯れ葉が堆積していることもあり、斜面を登ろうにもずるずると滑って上手くいきません。諦めて堀底を歩いて脱出しようとすると……。

行きつく先は、総構えの外側の谷底です。
10万人以上の豊臣軍に囲まれても、粘れるだけの工夫があったのですね。

少し戻って、堀切の向こう側の台地の先端へ向かいます。
こちらも堀切ですが、先ほどまでの真っすぐなものとは違いくねくね曲がっていて、どこに向かっているのか分からなくなってきます。
かなりの距離を歩いてきたため榎本先生もお疲れのようですが、頑張れー!

台地の先端までやってきました。
この先の低い場所には豊臣方の陣地がひしめいていたため、ここが最前線になります。さらに先の場所からは陣地跡が発掘されたそうなのですが、ちょっとした謎があるそうです。

資料の右側にある弾丸のような形の陣地ですが、尖っている側が小田原城を向いているので豊臣方の陣地という説と、北条領で作られた土器が発掘されたため北条方の陣地という説があるようです。
この解釈ひとつで、豊臣軍が総構えのすぐ近くまで迫っていたのか、それとも北条軍が豊臣軍を近寄らせずにいたのか、戦況の解釈も変わってきそうで面白いですね!

台地の先端から降りて、アスファルトの車道を下っていきます。
左側の木が茂っている高台が総構えの上で、北条軍に狙われている気分になりながら進みます。

ルートの関係上、もう一度大堀切に突入します。何度通っても圧巻の迫力です!

しばらく進むと、急に脇道へ。その先に待っているのは……。

再度総構えの堀が見えてきました!
ここは「稲荷森」と呼ばれる場所で、総構えが地形に合わせて綺麗に曲がっていることがはっきり分かります。
空堀の向こう側にも土塁を設けることで下からは空堀が見えず、総構えを登ってきても空堀に阻まれるという意地悪な仕掛けです。

こちらは総構えを途中で遮断する「山ノ神堀切」です。

堀切の一番奥では、総構えの外側にある空堀と土塁が堀切と合流しています。
稲荷森で見た空堀の外側に土塁があるという構造が、奥の方にしっかり残っています。

さらに進むと、「城下張出」と呼ばれる場所に来ました。
総構えの段差が直角に曲がっていて、ここも自然地形を活かして作られています。

北側の市街地が一望できて、まさに天然の見張り台のような場所です。

下から見上げるとこんな感じです。
ここまで歩いてきて疲れているのもありますが、とてもこの段差を登ろうという気にはなりませんでした。

坂を下って小田原駅の方向に向かいます。これで終わりかなと思っていたのですが……。

またしても急に脇道へ。
ここは看板も何も無いので、ガイドさんが居なければ来ることは無さそうなルートへ突入します。

またしても上り坂へ。最後の力を振り絞って進みます。

今でこそ車が登れるような道がありますが、急な壁のようになっている場所も見られます。
史跡としての認定も無さそうな場所ですが、北条氏がここで戦っていたんだと感じられる痕跡でした。

その後も歩いて無事に小田原駅へ到着して終了です。榎本先生、お疲れさまでした!

駅の西口にある北条早雲公の像を皆で見学。
この城たびの少し前に、NHKの「歴史探偵」で北条早雲の特集があり、この像の元ネタの「火牛の計」についても検証していました。
牛は角に触られることに敏感なので、実際には角に松明を括り付けるなんて無理という話ですが、像になっているのを見るとめちゃくちゃカッコいいです。

最後は懇親会で楽しくお酒を酌み交わしました。皆さん、お疲れさまでした!
総構えを歩いてみて
今回のコースでは総構え全体のおよそ半分を踏破しましたが、思った以上に登り下りがあったため山城ひとつを登り切ったくらいの疲労がありました。
他の城ではまず体験できないほどの距離を歩いてもまだ半分とは……見ごたえのある場所は今回あらかた見たとは思いますが、いつか一周ぐるりと回って総構えを完全制覇してみたいと思いました。
またしても長い記事になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
かなり寒い時期になってきましたが、皆様も健康にお気をつつ楽しい攻城ライフをお過ごしください!