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こんにちは! 団員のワタナベです。去年はアドベントカレンダーに参加できなかったのですが、今年こそはと思い記事を書いてみました。
お題は「今年初訪問したお城」ということで、自分の攻城記録とにらめっこしていたところ、愛知県の岩崎城が今年の1月に初訪問でした!
初訪問は1人で行ったのですが、その後5月の城たびで訪問した結果、印象がガラッと変わったお城ですので、その感想をお届けしたいと思います!
初訪問=1人でサクッと回って終了

初めて岩崎城に来たのは今年の1月でした。
とても立派な門と天守がありますが、立派すぎて歴史的な建物ではないんだろうな、ということが第一印象でした。

天守の中はこんな感じ。岩崎城や小牧・長久手の戦いに関する資料が展示されています。

最上階からは日進市街地が一望できて、良い景色です。

天守から降りて二の丸方面へ。本丸と二の丸の間の大きな空堀は、とても見ごたえがあります。

二の丸に到着。庭園風の自然公園になっていて散歩にはとても良さそうですが、戦国時代当時のものは残ってなさそうです。

空堀は高低差もあり、この辺りは守りが堅そうだなという印象。堀の形も入り組んでいて、戦国時代の雰囲気を感じます。
こんなルートで見回った後に本丸の歴史記念館を見学し、1時間弱で終了して帰宅しました。この時点では「よくある展望台付きの公園だな」という感想でした。
2回目の訪問=熱意たっぷり解説付きの攻城
城たびで2回目の訪問をする前に、城がたり「もっとわかる小牧・長久手の戦い」が開催され、ミスターこまながこと内貴健太先生に熱く語っていただきました。
この城がたりで「岩崎城で丹羽氏重が頑張ったからこそ長久手で徳川家が勝利して、のちの江戸幕府につながった」ということを聞いて、改めて岩崎城を見てみたくなりました。

ここからは5月に開催された、城たび当日の様子です。現地での座学の後に岩崎城から見える景色について解説していただきました。

高台となっている城からは、敵方の池田軍が良く見えたことは間違いないです。自分たちの20倍の軍勢を見ていた若き城代は、何を思い大軍に挑んでいったのでしょうか?

天守に相当する隅櫓跡の解説もしていただきました。1回目の訪問でもこの辺りは通ったと思うのですが、全く記憶にないです……。
詳しい方に説明していただくことで、印象の残り方が全然違うことを実感しました。

二の丸も曲輪の形は当時のままだと、古地図と比較しながらの解説がありました。
半円状の形であるため馬出だという話もあるようですが、ホントにそうなの? と考えながら痕跡を探して歩いてみるのも楽しいですね。

空堀の横の何もない空間ですが、ここから池田軍が攻めたと解説がありました。
撃退された兵士が空堀に落ちたという記録からここだと考えられるとのことで、コレは解説していただかないと絶対に分かりませんよねぇ……。

城の北側は住宅地ですが、古地図と比べると当時の地形どおりに家が並んでいることが分かります。

なんてことのない水路にしか見えませんが、これも古地図に川として描かれており総構えの一部というお話がありました。

住宅地をぐるっと回ってお城に戻ってくる頃には2時間が経過していましたが、それがあっという間に感じるほど魅力的な解説たっぷりのツアーでした!
この城たびを通して、私の岩崎城に対する印象は「よくある城跡の公園」から「熱い男に愛された歴史的な城」に変わりました。1月に開催される2回目の城たびもまだ募集中ですので、参加を迷われている方には是非お勧めしたいイベントです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
