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はじめに
こんにちは。城郭建造物大好き・ごましおです。
アドベントカレンダーの今年のお題は「今年初訪問したお城」ということなので、10月に初訪問した長崎県の福江島にある福江城(石田城)について書きたいと思います。福江城は続日本100名城の1つに選定されています。
三浦正幸広島大学名誉教授の本に福江城の土塀に大筒狭間が残っているというような記述を見てから、いつかは攻城してみたいと思っていたお城です。
攻城開始

福江島には長崎港から福江港に船(ジェットフォイル)で渡りました。
福江港から福江城までは徒歩で10分ぐらいで着きます。


大筒狭間が切られている土塀は横町口蹴出門(よこまちぐちけだしもん)に続く土塀にあります。
土塀の現存する大筒狭間は今まで見たことがなかったので、これを見ただけで長崎まで来たかいがありました。

なお、土塀の土台の石垣にある大砲狭間であれば、長崎県の平戸城にあります。


また、復元した土塀の大筒狭間であれば、茨城県の土浦城にあります(写真の赤丸部分)。
しかし、土塀本体に切られた現存の大筒狭間はおそらく現在はこの福江城でしか見られないのではないかと思うと感動もひとしおです。しばらくぼーっと見ていました。

土塀の屋根の形が変わっていると思ったら、通常の屋根の瓦と土塀本体との間に縦向きの瓦が入っているんですね。
こういう土塀は初めて見ました。福江城の土塀は色々とすごい。




福江城に現存する建造物は土塀だけではありません。
横町口蹴出門も現存している門で、高麗門です。左側の門扉には潜戸みたいなものが付いています。

横町橋(よこまちばし)です。現存の橋とのことです。




裏蹴出門(うらけだしもん)も現存する高麗門です。透かし門ですが、随分と横の板の割合が少ないですね。
現在は長崎県立五島高等学校の校門として活用されています。

模擬天守もあります。五島観光歴史資料館です。


一般的には、福江城内にある国指定名勝の石田城五島氏庭園(いしだじょうごとうしていえん)が福江城の見どころのようです。
庭園内を一人で回った後で、隠殿屋敷(いんでんやしき)内をかなり詳しくガイドしてもらえます。ただし、公開時期があるようです。なお、隠殿屋敷も現存する建造物のようです。




説明板には『文久年間石田城の築城に際し藩主のご隠居所として京都の僧 金正(佐藤)の手になる林泉式庭園で心の字を象ってつくられたので心字が池と命名されている。当時の藩主盛成公は殊の外 亀を好まれたので池中の築山は、すべて亀を象ってつくられており林間は男女群島から移植した大谷わたりや、ビロー樹 亜熱帯植物が繁茂している。』とあります。

説明板には『藩主が茶事の折り利用せし水質ゆたかな井戸 一つの大石を彫って作られている。』とあります。

説明板には『石垣の石は藩中、藩外の力自慢の若者が浜辺から土つかずで運んだもの。』とあります。

説明板には『第二十代藩主、純玄公(すみはる)は、文禄の役に、軍船十七艘、属船八艘に分乗し、総勢七百余人、石田の浜を出船した。小西行長軍に属し、その先手となり軍功を収めた。その記念として備えられた。純玄公は城山神社の祭神の一人として祀られている。』とあります。
なお、城山神社の現宮司は五島家第三十五代当主 五島典昭氏だそうです。この方のご尽力によって国指定名勝石田城五島氏庭園は維持公開されているようです(注)。ありがたい話です。
(注)五島典昭氏は「国指定名勝石田城五島氏庭園隠殿屋敷・築地塀・門修復工事報告書 平成28年(2016年)」や「名勝石田城五島氏庭園保存整備事業報告書 令和6年(2024年)」の出版者にもなっています。



説明板には『御庭方を命じられた僧(金正)が作庭の二年間 この板石に座して、指図、監督に努めた。』とあります。

説明板には『非常の折りにそなえて城外へぬけられるように造られた忍び通路。』とあります。

説明板には『旧藩時代の別荘(嘯月園)にあった石燈籠、盛成公の筆で「堪忍」の二字を刻む。』とあります。
「堪忍」の二字は反対側に刻まれているようです。




隠殿屋敷を建てた五島家第三十代当主 五島盛成公になったつもりになって心字が池庭園を見ると亀が好きになったような気がしました。




釘隠にも色々種類があるんですね。


福江城から徒歩5分程度で行ける福江武家屋敷通りも良い雰囲気でした。
おわりに
福江城の土塀はすごいということが分かったので、収穫大でした。
さらに石田城五島氏庭園もとても良かったです。隠殿屋敷内部を丁寧に案内していただきました。どうもありがとうございました。
以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
