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こんにちは、priusイワです。
本日は先日の開催された城たび「美濃金山城ガイドツアー」の繋がりで、美濃金山城の城門お披露目式に参加してきましたので、式典の様子をレポートしたいと思いブログを書きました。
最後まで読んで頂ければ幸いです。
目次
式典前の様子
会場になる可児市戦国山城ミュージアムに午前9時頃に到着しました。
当日は雨予報でしたが式典前は降っておらず、オーラ力でハイパー化した雨おとこである私も安堵したのは言うまでもありません。
ハイパー化については下記参照
https://roboken.sunrise-world.net/laboratory/detail.php?id=9498
まずは式典前に水野さん、三宅さんにご挨拶を。城たびでは大変お世話になりました。
式典が始まる時間までは戦国山城ミュージアム内を見学しました。今回は式典記念でミュージアムは入場無料!
式典記念の展示や久々利城・美濃金山城のジオラマなど、ゆっくり展示を見学できました。
戦国山城ミュージアムの入り口では粗品を配っており、袋の中は美濃金山城レジャーシートやクリアファイル、式典限定の御城印などか入っておりました。



そして時間になり、城門前は人でいっぱいに。ほどなく式典が始まりました。
城門お披露目式典の様子

式典の冒頭は可児市市長・冨田成輝氏の挨拶から始まり、その後に美濃金山城おまもりたい・水野さんが登壇されました。
水野さんは自作の台に原稿を置いて、祝辞を読み上げられております。
冒頭は城門の移設に関わった、瑞泉寺様のご住職や檀家総代の皆様、可児市市長、関係各所へのお礼から始まります。
瑞泉寺に移築された城門との出会いと里帰りをご住職へ願い出た時のお話もありました。
中盤は他にも犬山へ移設された城門のお話やその城門を美濃金山城の枡形虎口の写真へ合成して、在りし日の金山城を再現した画像などを用いた資料を提示して、往時の姿を説明されておりました。
使用された資料は式典後に戦国ミュージアム前に掲示されていました。


犬山瑞泉寺・原田径宗住職も登壇し、城門との思い出や水野さんに移設を申し出されていた時のお話をされておりました。
檀家総代の方々への説明やご住職より上の宗派の偉い方への説得が大変だったようです。

本日は広島大学名誉教授の三浦正幸先生も来賓者でお越しになられており、里帰りした城門について、城郭建築としての魅力と価値をお話されておりました。
下記はお話の内容を箇条書きにしたものです。
・城門は木曽檜(ヒノキ)で出来ている。
・大木のヒノキの老木を使っているため、堅牢で日本一の最高峰の建材。
・老木になると年輪が重なり、その柾目(まさめ)は「糸柾(いとまさ)」と呼ばれる程、非常に細かくなる。柾目が細かいほど堅牢な建材になり、城郭建築で糸柾になった木の使用が確認されたのは2例しかなく、それが犬山城と美濃金山城のこの城門の事である。
・糸柾の建材は現在でも最高級のものであり、その辺の安い建材とは大違いである。
・柱は槍ガンナで削ってあり、丁寧に仕上げてあるとの事。また犬山城一階の柱と仕上げの仕様が同じ。そのため犬山城とこの門は兄弟分と言える。
・日本現存最古の城門。生きる化石ぐらいな価値がある。鏡柱の仕様が現存しているどのお城の高麗門とも違う。
・高麗門が発明される以前の門であり、高麗門の御先祖様と思われる。
・瑞泉寺歴代住職や檀家様が大切にされていたので、400年の風雪に耐えれたと思う。扉についても残っているが、流石にバラバラになっている。だが残ってはいる。
・瑞泉寺の立地は台地であり日当たり、風通しもよく環境が良かったので城門がしっかりと残ったのではないか。
除幕式です。


石碑の除幕式でしたが、残念ながら私の場所からは確認しにくかったので、後ほど石碑は確認しました。
テープカットです。

冨田可児市市長や原田住職らご来賓者の他に未来の美濃金山城を継承し見守るであろう兼山小学校の児童が式典に呼ばれており、テープカットに参加しておりました。
美濃金山城おまもりたい・水野さんは次世代にこの城門や美濃金山城を継承されて、守って行かれる事に期待を寄せておられました。
テープカットが終わり、今回の式典は終了です。雨が最後まで降らずによかった!
除幕された石碑「還郷」。


瑞泉寺・原田径宗住職が揮毫された書の文字を石碑にされております。
瑞泉寺歴代住職による「縁ある門 故に後世まで護持せよ」との口伝により代々継承され四百有余年の時を経て現在に遺るとあります。

地元ケーブルテレビ局も取材に来られておりました。また中日新聞社も来られており、城門の里帰りが注目が集まっている事を感じました。
城門の木材・糸柾について

美濃金山城おまもりたい・水野さんと攻城団団員のときもりさんが城門について話しています。この後、私も呼ばれたので近くに行き説明を受けました。


水野さん「この木目、柾目が糸柾と言うんだよ。とても目が細かいでしょう」
城門は確かに所々が風雪に晒されて傷んでいる箇所もありますが、槍鉋(やりがんな)の跡や木目の質感など感じる事ができ、柱自体もしっかりとしておりました。
まさに糸柾と呼ばれる柾目も持つまでに成長した老木を建材に使用し、現代まで形を留めるに至る力強さを感じれた瞬間でした。
城門 写真集






雨中の美濃金山城を攻城!
そして近くの蘭丸亭と和菓子屋・梅園へ行き、お昼ご飯を食べてからいざ美濃金山城へ攻城!
と思ったらめちゃ雨降ってました……。
でもせっかく麓まで来てるのならと雨中の美濃金山城を攻めました。
雨で足元は悪いし寒かったですが、石垣や曲輪の輪郭が濡れていて濃淡クッキリの立体的な姿を見れて、晴天時とはまた一味違った雰囲気でした。



余談ですが、蘭丸ふるさとの森から登って攻城しようと向かっていた時、蘭丸ふるさとの森の斜面に違和感が。

ん、なんだあの蠢く姿はとよく目を凝らすと……。

カ、カモシカ!
しかも2頭も!
つがいか親子か分かりませんが、1頭にめちゃ物見されてます。
ニホンカモシカは好奇心が強く、人間を見に来ることもあるとの事ですので、私も観察されていたのだと思います。
最後に
今回の式典を通じて、美濃金山城おまもりたいや兼山地区の方々に美濃金山城は郷土の誇りであり守っていくべき遺産なんだというマインドが根付いているのを強く感じました。
そして里帰りした城門も犬山瑞泉寺で永きの間大切にされており、現在まで原型を留めているからこそ、今回の里帰りとなったと思います。
個人的には素晴らしい式だったと思います。移設実現にご尽力された城門に関わる全ての方に改めて御礼を申し上げたいと思います。
そんなところで、今回は以上です。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!