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思い立ったが吉日! こんにちは、toproadです。
2025年2月16日、小牧山城大手道発掘調査現地説明会の10時30分~の回に行ってきましたので、そのレポートとなります。
僕としては、一連の城がたり、城たびのフィナーレのような位置付けとなりました。
小牧山課に確認して、資料はこちらからとのことなので、今回の資料はリンク先の「大手道発掘調査(令和6年度)」を参照してください。

今回の発掘現場
当日は桜の馬場に受付のテントがあり、受付後に桜の馬場の上の広場で説明を受けました。
僕の受付番号は148。午前の部で約150名の参加だったと思われます。
説明は城たびでお世話になった、小牧山課の田中さんでした。
城がたり講師をしてくださった鈴木さん、小牧市観光協会の八木さんにも挨拶をして、改めてお礼を伝えた上で攻城団の名刺を渡しました。
団員のpriusイワさん、ゆきさんとも話をしました。
今回の発掘現場は「コの字型に」5回屈曲している大手道の、最初の屈曲部と2番目の屈曲部になります。
城たびの時は西側からまわりこんで4番目の屈曲部に出るルートになっていました。

織田信長の大手道
資料を見ていただくとわかるように、織田信長の作った大手道は「チャート」の岩盤を削って造成され、約10mもの道幅があったとのこと。

削った岩盤を谷側へ盛って、「版築工法」で固めて大手道を拡げています。

川原石の石垣
主郭に向かって縦方向に見つかった石垣には川原石が使用されていたとのこと。
どこで取れたものかは不明のようです。

不明遺構
どのような用途かはわからない楕円形の穴も発掘調査で見つかったとのこと。
川原石の石垣の北側になります。

大手道沿いの石積
大手道沿いに石積があったようです。
石垣や石積がどのようにつなかっていくのかを調べることが今後の調査対象であるとのことでした。

知ったかぶりと偶然の出会い
発掘現場を見渡せる場所に田中さんがみえて、参加者の質問に答えていたので、そばにいて聞いていました。
その中で「主郭下の積み直した石垣はチャートに見えないが、どういった石か?」と質問されている方がみえました。
回答としては「小牧山城の石ではないものを買ってきたもの」とのことでした。
そのやり取りを聞いていた僕はついつい得意げに、質問されていた方に「西の方に石切場がありますよ!」と、言ってしまいました。
その方はさも、当然のように「知ってますよ」と答えました。
その瞬間、僕は「しまった! 余計なことを言ってしまった」と思いました。
冷静になって考えたら発掘調査の説明会に来て、石の種類の違いがわかる方が、小牧山城の石切場を知らない訳ないよなと。
僕はこういった場に初めてきたので、いつもの城攻めの時の感覚で話してしまいました。

そう思っていたら、その方が僕の缶バッジだらけのトートバッグを見て話しかけてくれました。
攻城団名刺を出して、名刺交換。
なんと! 伊賀中世城館研究会の方でした。
比自山城(ひじやまじょう)で会った方とは別の方でしたが、これはいよいよ「城がたり、よくわかる伊賀の城」を開催すべき? と思ってしまいました。
その方と小牧市役所方面まで話しながら歩いて、駐車場まで戻りました。

まとめ
いつも、どこかで発掘調査をしている小牧山城。
説明会の開催は5年ぶりとのことでした。
これからも新しい発見があることに期待したいと思います。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。今回は以上です。