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どうも、はつみんです。去る2025年2月9日、攻城団ツアーズ・城たび〈東美濃の山城めぐり・団長と行く、美濃金山城ガイドツアー〉に参加しました。
私自身、美濃金山城は過去に一度攻城していることと、ほかの要因もあって参加しようか迷っていました。
結論から言うと、参加してよかったです。
1月に参加した小牧山でも実感しましたが、その場所を熟知している方に案内してもらうのは、何度も行ったことがある城でも、違った見え方がして何倍も得した気分になります。
予習も含めて城たび
今回は、YouTube・攻城団テレビにて城がたり「可児市の歴史と山城」を事前に視聴し、可児市が山城のまちであること、森蘭丸よりもお兄さんの森長可(ながよし)推しで、長可がどのように街づくりに貢献したのかなど、とても分かりやすく解説されていたのでまだ視聴されていない方はぜひとも!
いざ、美濃金山城
前日までの雪により一時は開催が危ぶまれましたが、当日は打って変わって快晴。気温は低いけれど絶好のお城日和となりました。
正直なところ「雪かぁ……」とあまりテンションが上がらずにいました。それでも「行けば楽しいから!」と自分を鼓舞して寒さに負けず、家を出ました。
ルームで、続々とほかの参加者さんたちが集まってきている状況を見つつ「やばい……ギリギリかも」と内心焦りましたが、当初の予定時間通りに出発できたのでよかったです。
まずは参加者さんの車で蘭丸広場まで向かいます。出丸の石垣と伝・蘭丸産湯の井戸を見学します。

ここから徒歩でも行けますが、もう一か所の見どころ大堀切へ向かいます。


大堀切り
南北約50m、巾約4~7m、高さ約10m 搦手左近屋敷の防御施設で峰を切り開いたものである。
みんな大好きチャート層の岩盤も解説板の後ろに見えます。
城がたりYouTubeでもありましたが、美濃金山城の石垣の石材は、ほぼ現地調達で一部ほかの山から持ってきた花崗岩も使われているそうです。
個人的には、小牧山城の城たび以来、石垣の石材にも興味が出てきたので、石材が何処からきて、どのような意図で使われているのか、ガイドさん等に聞いたり調べたりすると勉強になります。

出丸に昨年できた新しい石碑の前で記念撮影の後、事前に決まっていた二班に分かれて行動します。
チームながよしとチームらんまる(ガイドさんからもチーム名がナイスと好評でしたね)。
チームながよしのガイドは水野さん、らんまるは三宅さん。私はチームらんまるなので三宅さんについていきます。

先ほど蘭丸広場から見上げていた石垣の説明、美濃金山城と近隣の城の位置関係などの説明を受けました。

ここは破壊されず、そのままの状態とのこと。

「猪出没注意‼」の看板で前回来た際に、遠目に見えたイノシシの後姿を思い出しつつ、登っていきます。

美濃金山城=破城跡のイメージですが、もういきなり石がゴロゴロしています。
雪のおかげで石が目立ってわかりやすいです。
三宅さん曰く、いまだに崩れてくることもあるから見学するときは気を付けてとのこと。

水の手がある=人が住んでいたということ。つまり使われていた城だったことが分かります。
水の手虎口の先はかなり急な崖になっているため、入らないようにとのことでロープをはってあるそうです。


雪がかえって礎石を見やすくしてくれている。

搦手から米蔵跡へ降りる道は、階段になっている。しかし急。

米蔵跡の石垣がとても立派です。ここは城とみなされなかったため、破城は免れたそうです。
しかし崩れた個所を補修するために玉石を使ったため、残念な感じになってしまったとのこと(石垣の上部が補修した箇所)。
この米蔵跡で見学案内は終了、可児市観光交流館まで戻ります。
時計は16時を指しており、あっという間の3時間でした。
おまけ&感想

自分のチームではそういった話が出なかったので、調べてみると、名鉄明智駅~八百津まで、南北を結んでいた名鉄八百津線の廃線跡とのこと。
この辺りはかつて兼山駅があったそうです。(参考サイト:津島軽便堂写真館)
廃線めぐりも楽しそう(こら)。
雪の残る中でしたが、怪我人も体調不良者もなく、無事に終えることができてよかったです。
危ない箇所などは声を掛け合いながら進んでいたので、チームの力、いい意味でみんなで行けば怖くないな、と実感しました。
参加して一番感じたのは、ガイドさんの城愛でした。長年住んでいる地元とのことで、愛着もあるし美濃金山城が好きなんだろうな、と思いました。
またガイドツアー参加したい! そう思いました。
それでは、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。ではでは~。