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今年のはじめより茨城県のお城をまわっていて、小幡城、島崎城、馬坂城、久米城と素晴らしいお城に出会っていましたが、その後で4月に訪れた「塙城」がすごく印象に残っていて謎のお城だったのでぜひブログで紹介したいと思い記載致しました。

攻城開始
今回の塙城は他のお城の攻城も兼ねて計画をたてましたが、周辺にレンタサイクル等は見つからず、最寄のJRの駅より遠く交通の便が悪いため、バスと徒歩でまわる計画を立てました。
朝一でJR荒川駅に向かい、駅からバスに乗り、東部工業団地バス停で降りて塙城に向かいました。

バス停より15分ほど歩いて阿見町君原公民館に着きました。
受付で塙城を訪れたい旨と伝えると、詳しいパンフレットをいただき、ぜひお城の感想をノートに記載してくださいと声をかけられました。

塙城は霞ケ浦の南岸、稲敷台地の南部に位置し標高約20メートルの舌状台地の先端部に所在する城跡です。
連格式の本城域と二重の堀・三重の土塁からなる北の郭が別々にある「異形の城」と呼ばれているそうです。城主は館野氏といわれていますが、まだまだ謎の多い城で実に興味深いです。

お城の入口は公民館より100mほど歩くと案内板がでてきました。木の板というのが何ともいいです。

しばらく歩くと土塁と横堀がでてきました。
堀は木々が堆積してそれほど深くないですが曲輪の輪郭がわかりやすいです。

切岸がでてきました。かなり急勾配であるのがわかります。

そこから二の郭まで順路に沿って進みます。阿見町の順路の案内板はありがたいです。

二の郭に着くと稲荷神を祀る祠があります。馬頭観音の石碑と五輪塔の一部もありました。

二の郭の南辺には虎口があり、左右の張り出しより横矢ができる構造だったとのこと。

張り出し部分に行ってみると横矢の案内板があり、下を見るとここからの攻撃が有効なのがわかります。

堀に降りて、突角形土塁を見上げます。攻撃の拠点であることがわかります。

本城域の最大の見どころの「障子堀」です。
戦国末期と説明板には書かれていましたが、北条の城以外では初めてこの目で見たような気がします。写真では分かりにくいですが堀が見事に仕切られてます。

二の郭より堀切を越えてやっと一の郭の一段高くなった場所に来れました。
この場所が櫓台だった可能性があるとのことです。

本城域をでると北の郭との間にあった桜が満開でした。

北の郭に向かいますが、その前に鹿島神社裏の遺構を見に行きます。

パンフレットに載っていましたが、鹿島神社周辺には城郭遺構と見られる土塁と切岸があり、未加工の部分も多く築城途中で放棄されたのではないかとのことです。
本城・北郭が突破された場合の最終陣地ではないかとも書かれていました。

鹿島神社経由で北の郭に向かいましたが、その行き先が写真のとおり倒竹で遮られています。
本当に北の郭に行けるのかと不審になりました。順路の案内板を信じて進みます。

しばらく進むと土塁が見えてきました。土塁と堀が屈曲しており、奥には幟も見えます。

パンフレットにも載っていた二重堀と三重土塁です。
守るべき曲輪がないのにこの素晴らしい遺構は塙城最大の謎と書かれています。奥には竪堀が2本も見られるとのこと。

本城郭とは雰囲気が違い土塁と堀のみで構成されています。思わず溜息が漏れる圧巻のつくりです。

しばらく素晴らしい遺構に酔いしれたあと一度君原公民館に戻り、お城が最高だったという感想をノートに書いて、次に予定していました木原城に徒歩で向かいました。
終わりに
今回はあまり知られていない「塙城」をもっと紹介したいと思い記載しました。
私も実際行くまでこれほど素晴らしいお城だと思っていませんでした。百聞は一見に如かずで、他のお城とは比較できない異形の城であることがわかりました。謎が多いのも今後の楽しみです。
ここまで長く読んでいただきありがとうございます。
