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納得!!「狸親父さんの百名城」対馬清水山城に行ってきました

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こんにちは。ちゃんくまです。
今年最後の大遠征で12/2(火)~12/5(金)に福岡と壱岐・対馬に3泊4日で行ってきました。対馬には2022年6月に近ツリのツアーで一度行ったのですが、1泊2日の短い行程のうえに悪天候で長崎から対馬への飛行機が飛ばず、急遽ジェットフォイルに変更になり、2日目の午前中にかろうじて金田城の入り口の三ノ城戸までの攻城しかできませんでした。
なんとも不完全燃焼でいつかリベンジを! と思っていました。相棒のけたいまさんも私も退職して時間もできたのでやっと念願かなって行ってきました。

今回は壱岐・対馬全制覇を目指しました。
離島に渡るために初日は福岡入りして大野城を攻城。2日目に朝一番のジェットフォイルで壱岐に渡り壱岐の4城を制覇したあと夕方ジェットフォイルで対馬へ移動。3日目にリベンジの続日本100名城の金田城と上対馬にある2城、最終日に「狸親父さんの百名城」である「対馬清水山城」(初攻城)と他3城を攻城して長崎の離島を制覇してきました。

博多港から壱岐まではジェットフォイルで約1時間、壱岐から対馬の厳原港へも約1時間かかります。
時速80kmの高速船なので大きな揺れとかはなく快適な船の旅でした。飛行機のルートもありますが前回痛い目にあったので、今回は船で。
詳しい航路など九州郵船のホームページからどうぞ。

対馬清水山城について<初攻城>*狸親父さんの百名城*

左に見えるのが金石城(対馬藩藩主の居城)の城門で右の少し高くなったところにある建物が対馬博物館です。博物館の裏手に対馬清水山城の登城口があります。

対馬清水山城の歴史

16世紀末の文禄慶長の役(豊臣秀吉の朝鮮出兵)に際し、本営である肥前・名護屋城(唐津市)と朝鮮半島の釜山を結ぶ輸送・連絡の中継拠点として、秀吉の命により国境の島・対馬に築かれた城。

海の玄関口である厳原(いずはら)港を見下ろす清水山(標高208m)の尾根に沿って、山頂に一の丸、中腹に二の丸、東の段丘に三の丸が配され、それらが東西500mの堅石垣(たていしがき)によってつながれています。

朝鮮出兵の為に築かれた清水山城は、織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく:織田信長・豊臣秀吉の時代の城の典型)や日本の武将が朝鮮半島に築いた倭城に共通する要素も見られ、朝鮮半島からの撤退後はすぐに廃城となったため、当時の遺構が改変されずに良好に残っていて歴史的価値が高く、国の史跡に指定されているとのことです。

さすが「狸親父さんの百名城」に選ばれるお城だと、この時点で納得し、攻城への期待も膨らみます!

縄張り図

対馬博物館や観光案内所(観光情報館ふれあい処つしま)で清水山城のパンプレットをいただけます。縄張り図を見ながら尾根道(赤)を進み、三・二・一の丸を巡るコースをたどってみるのがいいと思います。

今回は登城口から遊歩道(青)で登り真ん中の城址への接続部分から尾根道(赤)に入り二の丸を経て一の丸へ登り、下りは尾根道(赤)で一の丸→二の丸→三の丸→登城口へ降りてきました。
途中、急な斜面の岩場もあるので気を付けてください。トレッキングシューズ、軍手、ポールなどの装備があると安心です。

ではいよいよ登ってみましょう!!

対馬博物館の裏手の案内表示から標識に従ってスタートです。

分岐には緑色の案内標識が立っています。清水山城跡入口方面に進みます。

民家の脇の案内表示に従い階段を上ります。

入口に城跡についての案内板があるのでそこから中に入っていきます。

二の丸:左上に350m  三の丸:右上に110m

今回は左の二の丸コースから進みました。帰りは三の丸方面から降りてきました。

最初はコンクリート舗装された登城路(遊歩道)を進みました。

少し傾斜が付いた木製の階段を上ります。

石垣が見えてきます。曲輪と曲輪の間の尾根を挟んだ左右に10m~15mの幅で、延長約500mに渡り石塁(せきるい)が築かれています。

石垣の門の上の尾根道には道標があり迷うことなく進めます。

左に進むと110mで二の丸で右側の尾根道に進むと210mで三の丸。三の丸へは下山時に回りました。

分岐を振り返ると、三の丸に続く平坦で細い尾根道が続きます。

分岐を左、二の丸に向かうと段々傾斜も強くなり足元もゴロゴロとした大きな石が散らばってきます。一歩ずつ確実に進みます。

この辺りは木の根や岩の道なので比較的上りやすく感じました。

二の丸下から見上げる二の丸の石垣。天然の大きな岩盤も利用して堅固な造りになっています。

二の丸の入り口は堅固な石垣で、桝形虎口になっています。
この門の入り口の手前は傾斜も急な岩場で登るのにも一番きつい場所でした。敵の侵入を阻むためには桝形の造りやこの傾斜は重要なポイントだとわかります。

二の丸

東西50m、南北30mの曲輪で、鋭角、鈍角、および直線で構成された石垣や内桝形虎口(うちますがたこぐち。複数方向から攻撃できる、防御力の高い構造の出入り口)など織豊系城郭の特徴がみられます。
各曲輪で石積みの様式が異なるのも清水山城の特徴です。こんなにしっかり石垣が残っているので気分が上がりますね。

二の丸の案内板

平坦地が広がっていました。この先、一の丸まで110m。

二の丸からの眺望

厳原港が見渡せます。

木の根が張り詰めた坂道をさらに110m登ります。

正面に一の丸(本丸)の入り口の石垣(虎口)が見えてきます。

一の丸(本丸)

清水山城で最も高い位置(標高208m)の山頂を中心に東西約70m、南北約40mの曲輪。
岩盤が露出した山頂部を中心に楕円形の石垣が巡らされています。扁平な石を積み上げるなど、ほかの曲輪とは異なる特徴がみられます。
さらに中に入るともうひとつ虎口が設けられています。敵が直進できないように虎口が食い違いに配置されています(食い違い虎口)。

一の丸のひとつ目の門です。他の曲輪と違う扁平な石積みです。
同じ城跡でも曲輪によって違った積み方の石垣を見られます。

中に入るともうひとつの虎口です。
ひとつ目の虎口から直進できないよう入り口の位置をずらして築かれています(食い違い虎口)。
この石垣は鏡石を使用した技法で積まれ、曲輪間の石塁や二の丸、三の丸の石積みの特徴と同じ積み方になっています。右側は岩盤を利用してその上に石垣が組まれていますね。

一の丸 案内板

日に焼けてだいぶ文字が薄くなっていますが、かろうじて判読できます。

一の丸 虎口の内側から

平坦部は狭く左側は大きな岩盤がありなだらかな傾斜になっています。

一の丸から見る厳原港

遠くの海までよく見渡せます。
それぞれの曲輪や眺望を堪能し満足しました。あとは下りながら三の丸を攻略していきます。

三の丸方面へ下山

二の丸を通って下山し、尾根道の分岐で三の丸方面に向かいます。

尾根道は平坦でなだらかで歩きやすい道が続いています。

尾根道の途中には大きな岩盤もあちこちに点在しています。

二の丸と三の丸をつなぐ尾根道には延長500mに渡り石類が築かれています。

立派な石垣が沢山残っているので見どころ満載です。

三の丸

三つの曲輪の中で最も低い位置にあるのが三の丸。厳原市街地からわずか15分の距離にあり、街並みと港を見下ろす絶好のビューポイントでもあります。

石垣は直線的ではあるが、随所に張り出させた横矢桝形を配置しているとのことです。石垣の先端直下には、竪堀が設けられているのも特徴。

横矢桝形。敵の側面に向かって攻撃するため、石垣を張り出させたもの。

三の丸からも厳原港と街並みがよく見渡せます。

三の丸 案内板

三の丸からの下り坂で登城口へ戻ります。
歩きやすく整備されています。下りながらも港が見えます。

狭い山道を下ります。

下に行くにつれ、だんだんと道幅も広くなり歩きやすくなっていきます。

無事に下山! 今回の壱岐・対馬の城巡りの旅も麓の金石城の城門をくぐって無事に終了しました。

アクセス

この時間だけ見ると割と楽に登れそうに思いますが、足場の悪いところや傾斜のきつい所があり実際にはもう少しかかりました(それぞれ個人差がありますね……)。
遺構もたくさんあるし上からの眺めも絶景なので、少し時間に余裕をもってゆっくり見れるといいですね。

対馬博物館の詳細はこちらから。

前日、上対馬の韓国展望所にも立ち寄りました。対馬の北端にあります。

釜山まではわずか50kmの距離とのこと。
ちなみに対馬から博多は約150km。韓国の方がかなり近いことがわかります。天気も良かったので水平線の上に肉眼でもうっすら韓国の釜山の辺りの陸地が見えました!
対馬が本当に国境の島と呼ばれる位置であることがよくわかりました。

終わりに

改めて「狸親父さんの百名城」は今回も大変満足できる納得のお城でした。
秀吉政権の転換期にもなる朝鮮出兵の為に築かれ、歴史的にも意味が深く、その遺構の現存状況も当時のままに残っている対馬清水山城。攻城するのに厳しい箇所も何か所かありましたが、場所によって違う石垣の積み方や食い違い虎口、急な傾斜に築かれた桝形虎口、絶景ポイント等々存分に楽しませていただきました。
それはまた当時の城の防御の機能として十分な役割だったということが実際に攻城してよくわかりました。

今年もいくつもの「狸親父さんの百名城」を攻城しました。
これからも計画の際には参考にさせていただきます。長年にわたりたくさんの経験に裏付けされた貴重な情報なので皆さんも是非参考にされると充実したお城巡りができると思います。長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

   
この記事を書いた団員

ちゃんくまさん

真田一族好きからお城巡りを始めました。最近はよかった100名城の再訪やその周辺の山城など楽しんでいます。やっと歴史の面白さを感じるようになってきました。

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