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思い立ったが吉日! こんにちは、toproadです。
2025年4月12日、priusイワさん幹事の城がたり〈もっとわかる小牧・長久手の戦い〉に参加しました。
priusイワさん、幹事お疲れ様でした。
内貴先生、貴重な時間をありがとうございました。
今回は岩崎城での城たび〈ミスターこまなが徹底解説プレミアムツアー「異常な一戦! 史料と現地から岩崎城の戦いの謎に迫る!」〉の前哨戦ということで、内貴先生に小牧・長久手の戦いについてお話しを伺うイベントでした。
小牧山城の城たびに備えて読んでいた、平山先生の『小牧・長久手合戦』を事前に読み直して城がたりを迎えました。
小牧山城の城がたり、城たびの際は小牧山城の歴史や立地、城そのものについての話が多かったので、小牧・長久手の戦いの話にはあまり触れていない印象があります。
講義と質疑応答
13時開始で1時間半ほど講義、30分くらい質疑応答でした。
小牧・長久手の戦いの専門家の内貴先生なので、戦いの発端となった、織田信雄による三家老粛清だけで今日のイベントが終わってしまうほど話ができるとのこと。
今回は主に羽柴秀吉、織田信雄、徳川家康の伊勢、尾張方面での動き、戦いについて話していただけました。

講義
事前にいただいていた資料に沿って、時系列順に戦いの流れについて説明していただきました。
スライドショーで共有していただいた資料も見た目がカッコよくて、地図も交えていて、現地の写真もあって、すごくよかったです。
僕としては三河中入り隊と徳川家康隊との戦いの中で白山林の戦いと岩崎城の戦いが同じタイミングで起きたということを知りました。
地図を見ながらの羽柴秀吉側と織田信雄、徳川家康側の城の位置関係もわかりやすく、理解が深まりました。

質疑応答
事前の質問として、
- 羽柴秀吉はなぜ、小幡城の徳川家康を攻めなかったのか? 逆に、徳川家康はなぜ、竜泉寺城の羽柴秀吉を攻めなかったのか?
- 岩崎城の戦いが起きなかったとしたらどのようになっていったか?
という質問がありました。
また、その場で、
- 中入り隊は間延びするような隊列になるが、なぜ、それでも中入りを実行したのか?
- 三好秀次(のちの豊臣秀次)はなぜ中入り隊にいたのか?
- 小牧・長久手の戦いにおける忍びの活動の記録はあるか?
という質問がありました。

雑談タイム
本編は質疑応答までで、あとの時間はオンライン評定のような雑談タイムの予定になっていましたが、内貴先生も参加していただけて、質問や感想をお伝えする時間になりました。
いろいろな内容にも真摯に答えていただいて、有意義な時間になったと感じました。

まとめ
現在は楽田城の近くの小牧在住、当然、小牧山城も近い。
通勤路は中入り隊の進路そのもの。
育ちは守山区で、竜泉寺城や小幡城の近く。
実家が尾張旭市なので白山林も近い。
三好の大学まで通っていたので長久手の古戦場の近くも通っていた。
何か、小牧に引っ越したのもこの合戦に引き寄せられたかのような感覚になるほどの地元中の地元で起こった合戦。
内貴先生、priusイワさんのおかげで更に知識が深まりました!
来月の城たびが待ち遠しいです。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。今回は以上です。