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こんにちは、ばやしです。
以前「究極の土の城 小幡城」をブログで記載しましたが、同じ茨城県に小幡城にも負けないくらいの土の城があると知り、早速攻城してきましたので、ぜひこのお城をブログで紹介させていただきます。
攻城計画
- 天気の良い日に潮来(いたこ)周辺のお城含めて攻城する
- できれば隣町の鹿島神宮まで足をのばす
攻城記録
目標の島崎城のある潮来といえば「潮来の伊太郎♪」からはじまる潮来笠を思い浮かべます(世代ではなくフレーズを聞いたことがあるだけですが)。
JRに乗って佐原を越えて鹿島神宮の手前の町に早朝降り立ちました。当初城址までレンタサイクルか迷いましたが、鹿島神宮にも行きたいので神宮あやめ白帆ラインというバスに乗り、永山東というバス停で降りて島崎城の奥にある長山城に向かいました。

長山城は今回目標の島崎城より北3kmにある丘城で島崎城の島崎氏に攻められ落城したお城です。
地元の方が整備されており、土塁と堀・枡形が見応えがありました。そこから歩いて島崎城に向かいます。

途中佐竹氏が築いた堀之内大台城の石碑を見て、ようやく島崎城に着くとちょうど駐車場の横の家の地元の方に「御城印は大丈夫? パンフレットあるからゆっくり城を見てってね」と声をかけられました。
トイレはこの寒さの中ありがたいし、パンフレットを見ると常陸三十三館の島崎城についての歴史や城の構造がかかれておりこれから登城する人には本当にありがたく感じました。

案内板を見ると駐車場よりすぐ上に一の曲輪があり推奨散策ルートもここからになっています。
私はあえて表門にまわり三の曲輪よりまわっていくことにしました。

いよいよ攻城開始です。
手前に腰曲輪の広いところがあり大手の虎口は右手に水の手曲輪があり、左手に帯曲輪があっていかにも攻め手には厄介なつくりになっています。

帯曲輪を抜けても東二の曲輪の高い切岸が待ち構えています。

そこから狭い武者走りを抜けると正面に物見台が見え左に坊主屋敷という開けた場所にでます。

坊主屋敷を抜けると三の曲輪への登り口があります。

三の曲輪は城内で最大の面積を誇り、物資準備の蔵が建てられ、平常は訓戦場として利用されたと考えられるとパンフレットに説明されていました。

三の曲輪の北側には全長207mの土塁がありその下には「大堀」と呼ばれるこの城の見どころでもある堀があります。

三の曲輪の土塁に沿って歩いているとその「大堀」に降りる階段がありました。

三の曲輪と今は私有地で入れない外曲輪の間にある「大堀」は全長240mもあり、切岸工法で作られ、深さ・規模とも非常に大がかりな堀であるのが分かります。

「大堀」の保存状態が素晴らしく小幡城のように堀底巡りだなと上ばかり見てると枯れ葉で滑って転びました。
幸いリュックがクッションになり大事には至りませんでしたがその後反省しきりでした。

三の曲輪下の大堀をぐるっと回ると搦手である金井柵にでました。

さらに堀をまわりこむと狭くて深い三の曲輪(右)と東二の曲輪(左)の間の堀切にでます。

ようやく物見台のところまで戻ってきました。

物見台に登ってみると対岸の八幡台の間の空堀は高所のため敵が侵入しても狙いやすいです。
この空堀は先が行き止まりになります。堀は最深で20mあり、物見台と八幡台の間に橋がかけられていたと考えられています。

一度、帯曲輪に戻り、東二の曲輪にある八幡台に登りました。
ここからも空堀に侵入した敵を狙えます。

八幡台より内側の東二の曲輪をのぞみます。城内で三の曲輪の次に広い曲輪とのこと。

東二の曲輪の奥に馬出曲輪に通じる幅80cmの土橋があります。
このような城内の工夫が大変面白いです。

この土橋の下も深い堀底になっており、堀は行き止まりになり敵は行く手を阻まれます。

東二の曲輪と一の曲輪の間にある馬出曲輪は緩衝地帯として一の曲輪を守っているとのことです。

ようやく一の曲輪に到達しました。
虎口の土塁は「お鐘の台」といわれ、鐘で時報や登城合図を知らせていたという伝承があるとパンフレットに記載されていました。

一の曲輪に説明板と御礼神社ありました。
ここで終わりではなくさらに下の水の手曲輪に向かいます。

水の手曲輪の奥に大井戸の跡がありました。
落城の際に黄金の鳥を投げ込んだという伝説があります。

さらに枡形虎口を抜けると右手に西二の曲輪があらわれます。
この枡形虎口は戦時は埋め立ててなくしてしまう「埋門(うづみもん)形式」だとパンフレットに記載されていました。

ここは城内でも一番見晴らしがよく、島崎城を守る会の幟が城の外からでも見えました。
団員の方が訪問ガイドに記載されていた幟に復元図か印刷されていて面白かったです。島崎城跡を守る会に感謝して攻城終了です。
まとめ
今回は1時間30分ほどかかりましたが、じっくりと「土の城島崎城」をまわることができました。
まさに小幡城にも負けない究極の城だと思いました。地元の方が用意していただいたパンフレットが非常にありがたく復元予測絵は城への想像を掻き立ててくれました。
駐車場に戻ってくると、車は一台も停まっておらず、城内で出会ったのは1組の夫婦だけでした。
少し寂しさを感じながらお城から15分ほど歩いて牛堀中央というバス停から神宮あやめ白帆ラインのバスに乗り鹿島神宮に向かいました。
長々とおつきあいただき、ありがとうございます。
もっとこの大変素晴らしい島崎城をより多くの方に知っていただければと思い、ブログに記載させていただきました。