団員ブログ by 攻城団 攻城団団員による団員のためのブログ

「ブラタモリ」で紹介された二条城について思ったこと

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昨夜のNHK「ブラタモリ」をあらためてちゃんと見ました。
初心者向けに作られた番組にケチをつけるのは野暮ですが、案内人の大阪大学・野村先生が番組で語られたことの大半がぼくが勉強したこととちがったのでちょっと書いておきます。
(もちろんぼくがまちがっている可能性も十分あります)

なお番組自体は1週間「NHK ONE」で視聴できますので、まだ見てない方はご覧になってから読まれたほうが良いと思います(思いっきりネタバレなので)。

大政奉還の舞台となった大広間?

冒頭、さっそく二の丸御殿に入り、
「大政奉還の舞台となった大広間」
「奥に座っているのが徳川慶喜で、大政奉還に意見のある大名を集めた場面」
と紹介されてましたが、これは明らかにまちがっています。
そもそも周知の通り、大名は京にいません。
参勤交代があるため江戸か国元にいるわけで、京都には名代となる重臣が滞在しており、彼らが招集されました。たとえば薩摩藩なら小松帯刀、土佐藩なら後藤象二郎が現場にいます。
そもそも大広間で伝えたのは慶喜ではなく老中・板倉勝静(かつきよ)です。その後、小松らは「黒書院」で慶喜に謁見して意見交換しています。
この件は前にブログにまとめたのでこちらを読んでください。

なぜ二条城はあの位置に築かれたのか

二条城の築城位置についてもさも信長や秀吉が朝廷(天皇)に対して威圧的だったかのような説明でしたが、これも正確ではないと思います。このふたりは家康よりも勤王家で、朝廷とも友好的でした。
二条城があの場所に建てられたのはタモリさんがコメントされた「このへんにしか空いてる土地がなかったのでは?」がかなり近いのではないでしょうか。
立ち退きはさせているものの、あのあたりは農地も多く(西側は完全に田畑でした)、また京都の街はいまでも京都駅を起点に北に向かって傾斜があるのですが、二条城のあたりは平地になっています(これはバスに乗ってもわかりますが自転車で堀川通を北上すると体感できます)。

番組で紹介された神泉苑の湧き水を堀に利用したのは事実ですが(その説明がなぜかなかった)、もともと二条城の北側には聚楽第時代の家康の屋敷もあり、馴染みのある場所だったことも理由のひとつかと思われます。

また秀忠・家光時代に拡張したことの説明で家康時代の石垣として紹介された部分、これはぼくが聞いた話と一致しています。
一般に二条城は東側が慶長期(家康時代)の城域で、西側が寛永期に拡張された部分と説明されます。これは正しいのですが、では東側の石垣がすべて慶長期のものかというとそうではありません。石垣は崩れるし、修理されるからです。
たとえば江戸時代に修理するからといって野面積みを打込接ぎに積み直すかというとそんなことはなく、ほとんどの場合は元の石を再利用します。だから江戸時代に積まれた野面積みの石垣はたくさんあります。
番組で紹介されたあの角の部分は工事の記録がないので、逆説的に家康が築城した当時からそのまま残っているのではないかと言われています。
(もちろん記録がないだけで修理した可能性はあります)

徳川和子の子どもは天皇になっている

最後に後水尾天皇の行幸が紹介されました。
天皇が急に天守に登りたいと言い出したかのような説明でしたが、もともと天守には登る予定でした。そのために二の丸御殿から天守までの通路が作られています。
御殿から見えて「あれは何?」という経緯ではありません。1回の予定だったのが、気に入ったのか(たしか初回は天気が良くなかったはず)2回登ることになり予定が狂って大変だっただけです。
また和子(東福門院)が行幸の直後に産んだ子が夭折したのは高仁親王(すけひとしんのう)のことですが(なお次男も誕生直後に亡くなった)、「この親王が生きていれば徳川の世は終わらなかった、大政奉還は起きなかった」というのはおかしいです。

歴史を学べば天皇家の外戚になった一族といえども栄枯盛衰があったことは自明です。
去年の大河ドラマ『光る君へ』での藤原氏がそうですし、武家としては平清盛(平家)の先例もあります。清盛の娘・徳子(建礼門院)は安徳天皇を産みますが、一族は滅亡しています。
そもそも和子の長男と次男は亡くなりましたが、長女・興子(おきこ)は明正天皇(めいしょうてんのう)として即位しています。女性天皇ではありますが「もしも」ではなく、徳川家は事実として天皇家の外戚になっています。じっさいには後水尾天皇の院政だったようですが、これは高仁親王の場合でも同じでしょう。
この部分の説明はもっとも歴史に対して不誠実だと感じました。

今回はぼくがそれなりに勉強している二条城だから間違いに気づけましたが、ほかの回でも同じようなことがあるかもしれません。だから「ブラタモリ」は見るなと言うつもりはありませんが、番組の内容をそのまま鵜呑みにするのは危険だぞということは指摘しておきたいです。
ちなみに大久保先生に描いていただいたマンガはちゃんと元離宮二条城事務所に取材しているので未読の方はぜひお読みください。ガイドツアーもやらなきゃですね。

p.s.
団長公記に書こうと思ったら、想定以上に長文になってしまったので団員ブログに投稿することにしました。
番組は東大手門からスタートでしたが、なぜ唐門を通らず事務所前の通用口から二の丸御殿に向かったのかは謎です。最後まで唐門の紹介がありませんでした。
なおOPは観光客がいなかったけど後半の庭園のときは修学旅行生が映ってたので、OPは御殿内の撮影をするために早朝だったのではないかと思われます。

   
この記事を書いた団員

こうの

攻城団のこうの団長です。

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