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こんにちは、団員のぐこです。
東海地方を中心に公共交通機関と脚で史跡や城趾を巡っており、攻城団にはお世話になっています!
三重県に縁がありますが、いつか行きたい、と憧れていた三重県熊野市の赤木城へ今年は行くことができました!
帰りは丸山千枚田、熊野古道通り峠などに立ち寄ってきました☺️
赤木城🏯🏯🏯
続日本100名城です✨
藤堂高虎築城、山奥なのに石垣造りな姿は(熊野のマチュピチュ)とも言われるそうですね。
簡単な歴史
天正13年(1585年)、紀州は羽柴秀吉によって平定されます。
熊野地方でも太閤検地が行われましたが早々に北山地域に一揆が起きます。
そこで北山代官として一揆討伐をしたのが、藤堂高虎。
この時にこの赤木城が築城されました。
つまり対・一揆勢の陣城。藤堂高虎の一揆討伐は峻烈で、赤木城南西の田平子峠では捕えられた一揆方の人々が処刑梟首されました。

ちなみに、この北山地方での一揆、北山一揆は、大坂冬の陣の際にも起こっています。
この一揆殲滅時にもこの赤木城が徳川方浅野氏の拠点として利用されたそうです。
⛰️⛰️⛰️⛰️⛰️
いざ赤木城へ
さて、赤木城へ攻め入ります。
駐車場にはトイレやパンフレットがあり、そこからさっそく石垣が見えてウェルカムさ満点です💯


対一揆勢のコンパクトながら複雑な連続桝形虎口、堅固な石垣造りの陣城。
きっと実践的な陣城でありながらも、権力を誇示する目的もあったんだろう。
警戒心のあるお城を見ると、一揆方はきっとゲリラ戦を展開していたんだろうな、とも思えます。

🏯🏯🏯
赤木城はのちの築城名人藤堂高虎の初期の築城とされ、石垣は野面積、隅部は初期の算木積みとなっています。築城名人となる萌芽を目の当たりにできます。


さて、主郭は張り出し部があって、櫓があったようだし、郭内にも礎石跡があって、建物があったようです。
建物や石垣でドヤりつつも実用的なものだったみたいで、瓦は一枚も出土していないみたいです。
主郭からの北尾根筋の郭も西尾根筋の郭も石垣造で、建物があったようです。案内板も豊富にあります。
周辺スポット
お城はコンパクトで、滞在時間も長くても1時間程しかかかりませんが、お城の後も立ち寄れるステキ💚スポットが付近にあります。
丸山千枚田
日本最大級の棚田。今も1340枚もの水田が山の斜面に段々に広がる壮大な景観を誇り、日本棚田百選にも選ばれています。

江戸初期にはもう二千枚程度の棚田があったそうで、それを知ったらなんだかよくわかりませんが泣けてきました。下の写真は後述の熊野古道通り峠から見たもの✌️

熊野古道通り峠
千枚田からすぐのところに熊野古道通り峠を越えるコースがあるので、入っていきました。
熊野古道、石畳だからか、ひんやりしてとても素敵です。お城好きの方は古道も惹かれますよね。

獅子岩を最後に見て帰りました! 大満足でした。
今年は秋以降がクマさんで、少し不完全燃焼‥ですね💦
できれば来年はクマさん控え目で、山城を楽しめることを願っています。
今年も団長さんや団員さんにはお世話になりました。ありがとうございます。
来年もどうぞよろしくお願いします。
また私も皆さんも、来年も素敵な攻城生活を送られることを願っています!

